遠慮

おはようございます。

昨日は曇りがちの一日でしたが、夕方雲の間から見える青空がとてもきれいでした。望遠鏡で何か物を観ているような気持ちです。私は誇大妄想ではないと思ってはいるのですが、未来に夢をはせることが好きです。
ああなりたい、こうなりたいと一人物思いにふけるのです、それが楽しいのです。孤独感が好きなのかもしれません。
「遠くを思う」。
論語「衞霊公第十五」十一条に「子曰く、人、遠き慮(おもんばかり)無きときは、必ず近き憂有(うれいあ)り。」とあります。
意は「孔子言う、もし人が、遠い将来を見通したり、広く周囲を見廻したりして深い思慮をめぐらしておかないと、必ず手近なところに身にさし迫った心配事が起こってくるものである。」
この語から「遠慮」という言葉が使われるようになりました。遠慮は志が無ければできないものかもしれません。いやいや人様に頭を下げても諂(へつら)いとしかならないからです、諂いからは何も生じないのです。
諂いは自分を貶(おとし)めるだけ、礼儀で頭を下げるのではないからです。
漠然とでもいいですから遠い将来を見据えて歩むことが大事。人生に苦難はつきもの、事に先んじて「思いを致さなければ」現実の仕事の中で何のために仕事をやっているのかの価値も見いだせないのです。
未来を思う気持ちがなければ日々苦痛の連続で憂いばかりが生じてしまいます。
人生を他人事のように思って仕事に携わっておれば問題が生じるばかり、それよりも自身の将来の夢のために身近な世界を大事にして歩むべきでありましょう。
夢を思い、その準備を日々行えば現実に問題が起こったとしても憂いとせずに、逆にそれを解決することに喜びと楽しみさえ生まれるのです。
私のこれまでの人生でも様々な試練がありました。しかしそれも遠いところに思いをはせていたお陰でパワーも衰えず、やる気も失わず、自分も見失うことなく歩んで来ることが出来たと雲の隙間の青空を眺めて思う昨夕のひとときでした。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌