固定観念としない

おはようございます。

「にんげん学」東京講座ご出席の皆さんありがとうございました。暖かい日で春一番も吹きました、三月も十三日(金)です、来月もお会いいたしましょう。
固定観念としない」。
私たちは専門の知識を持っています。私は僧としての専門知識。皆さんもそれぞれの専門の知識を持っておられます。専門の知識、技術を深め磨く、このことは当然のこととして日常としなければなりません。
専門家として価値があるのです。このように考えますと私たちの価値を認め生かしてくださるのは、ある意味では専門外の分野の人です。
専門家とそうでない人の差は歴然としています。そこで大事なのは、専門外の人と出会ったときの「応対、対応、礼儀」です。
孔子が多くの人の指示を得られた原因の一つに「全く物を知らないが如く出会った」ということです。
このことは「人として礼儀を重んじた」ということ、「平等感を持って出会った」ということです。
「上から人を見下ろさなかった」ということです。
論語「為政第二」に「子曰く、由(いう)、女(なんじ)に之を知るを誨(おし)へんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。」
意は「孔子言う、由よ、なんじに物事を知るということを教えてやろう。自分の知っていることは、このことは知っておる事とし、知らない事は、この事はまだ知らない事であると、心にはっきりと区別して認識するがよい。これが本当に知ることであり、それが又、更に知識を得て行く道である、と言った。」
私たちは自分を磨く上において、外からの情報によって動機づけられ更に能力が高められるのです。
専門家としていろいろな人と出会って知識を高め、更にスキルアップを遂げるためには「知るを知ると為し、知らずを知らずと為す心で出会うこと」が世界を広げていくのです。
孔子が様々な分野に生かされたのは、まさに「あたかも知らない者の如く」誰とでも出会ったという自然体があったればこそです。
得意がらず、固定観念で頭を固くせず、日常の中で学ぶことを忘れなければ慢心せず、多くの人との出会いがあり、そこから又学び発想を多くするのです。
知っていることと、知らないことは、どちらが多いかといえば、当然知らないこと、ややもすると専門バカとなり、自分の未だ知らないことまで分かっているように考えるのが人間の愚かさでもあります。
この性癖を戒めてくれるのが孔子の言葉です。私たちは、自分の知っておる事と知らない事の区別の曖昧なために、思わぬ過ちや争いを犯すことの多いことを反省しなければならないのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌