開運のキーポイント

おはようございます。

今日は24日、愛宕寺の「月例幸福開運・護摩祈願祭」午前10時からです、是非お参りください。この時間にお参りできない方は是非月一度時間を作りお参りください。
「開運のキーポイント」。
護摩の炎に意志があるが如くの美しさ、全てを焼き尽くし再生する。昨日は諦観、超越する心が大事と書きました、表現を変えていいますと「信じる」ということでもあります。
「何を信じて人生を歩むか」ということは、「何を基準にして考えるか」、「何を基準にして行動するか」という事、主体性です。主体性とは自主性、会社に行って「自らの意志で動く」、動かされる働かされるのではなく、「動く」、これが自主性です。
自主性がなければオーラとはならず、いくら動いていても伝わらないのです、それは主体性ではなく、指示によって動いているからです。このことを自らが明快にしなければなりません。
自らが明快にしなければ、こんなに動いているのに、こんなに働いているのに、という評価を待って愚痴と不満になるからです。
「君子は義に喩り。小人は利に喩る。」この語は論語「里仁第四」十六条にある語。
意は「孔子言う、君子は万事を処するに当たって、まず以てその事が義すなわち正しい道筋に叶っているかどうかということを敏感に悟るが、小人はまず以てその事が利益になるかならぬかということを敏感に悟りとる。」
これは君子と小人との分かれ目が、義に着眼するか、利に着眼するかに在ることを明らかにしたものです。
私は君子で在りたい、菩薩道を歩みたいと願っております。菩薩道とは「自利は利他なり」という道を歩むこと、いわゆる「義の道、人のためになっているか」であります。
立派な人と呼ばれたいというのではありません。道理を眺めれば自然「共栄」ということが理想で道理です、そうは思いませんか皆さんは。
お互いがお互いを思い合う、お互いがお互いを支え合う、お互いで分かち合う、バランス感覚です。
運を開くということは常に「自分の働く場がある」ということです。場があるということはチャンスが在る、己を素晴らしい未来へ運ぶのは「義」思いやりがポイントであることは間違いがありません。
自分の利だけを追っていけば行き詰まり、衝突するのは必然なのです。
自分の会社の売り上げ、自分の生活費から考えて仕事や人生を歩むようであっては早晩行き詰まるということです。
人様のことが眼中に入らないということは、もうそこで思考がストップしているといっても良いのです。
そのような事態を生じないためにも義を基準として開運の場、チャンスを多くしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌