和する

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございました。月一度予定を確かにしてくださる、「意気に感じてくださる」とても嬉しいことです。
しっかりと予定を立てられることは周囲に流されず「主体性を持って歩んでいる」という証でもあります。何事も主体性を持たなければ学びも、実践も結果を出すことは不可能であります。
来月は日にちが早く3月16日(月)となっております、一層主体性を持ってお過ごしの上ご出席ください。
「君子は和して同ぜず、小人は同して和せず」。
この言葉は論語子路(しろ)第十三」二十三条にあります。意は「孔子言う、君子はいかなる場合にも人と相和合して事を執り行うが、人に雷同して事を行うことはない。小人の場合はこれと全く反対で、人に雷同して事を執り行うが、人と和合して事を行うということはない。」
孔子は、「君子は周して比せず、小人は比して周せず」(為政篇)でこのようにも言っています。意は「孔子言う、成徳の君子は、たれかれの差別なく、ひろく公平に交わって、決して偏頗(へんぱ)な交わりをしない。これに対して、徳の修まらぬ小人は、偏頗な交わり方をして、ひろく公平に人と交わることが出来ない。」
君子はその心公平で私がなく。故にあまねく人と交際が出来るのです。然るに、小人は私心を持っていますから、自分の目先の利害にかかわって、その交際もおのずから一方に偏したものとなり、全体を見ることが出来なくなるのです。心の公と私とが、この相違をもたらすのです。
小人は主体性がありませんから「人の目と口が気になって」動きがとれず、ただ単に「同しているだけ」で、時間を潰し、人生の有意義な時間をも食いつぶしてしまっていることにも気づかないのです。
先の財務大臣の周囲の皆さんも「同していただけ」で、誰も注意出来なかったのです。和することが出来ていたならば日本の恥とはならなかったでありましょう。
したがって、この言葉の意味は、「君子は協調性に富むが、無原則な妥協は排斥する。小人は逆で、やたらと妥協はするけれでも、真の協調性には欠けている」となるのです。
自分の時間がとれない、主体性がないということはこのような意識があるからでもあります。
会社、社会では和が強調されます。和が強調される余り、個人が組織の中に埋没してしまいかねないのであります(先の例の如くです、皆で恥をかくような事態を生じさせる)。これは和というよりも「同」であり、主体性のない同は自分で「どっちつかず」の人生を送るはめとなり破滅に至るのです。
しっかりと自主性を持ってお仕事を為し、自身の時間を作ることに積極的になりましょう。それでこそ社会貢献も可能となるのです。
今月も今日と明日の二日を残すだけとなりました。しっかりとケジメをつけるようにしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌