知ったあと

おはようございます。

三月弥生(やよい)、草木がいよいよ芽吹く季節、新たな旅立ちの季節でもあり何か楽しくなる弥生三月、今月もよろしくご愛読くださいますようよろしくお願いいたします。
今月も一日から皆さんとご一緒の祈りからのスタートこれまた喜びです。心華寺の「月例・幸福、開運・護摩祈願祭」。午前10時からです、共にお祈りをしてスタートいたしましょう。
「知りて知らずとするは尚(しょう)なり」。
皆さんと共に祈る、それぞれの夢は違うからこそ一緒に祈ることが楽しく素晴らしい、「あの人も、この人も」と励みになる、励みと出来る。
先日も書きましたが私は人と競争はしません、「あのようになりたい」という思いをそれぞれの方に見ることができるからです。
何か理想のようなことを書いているように思われるかもしれませんが、人様の欠点を余り見ないのが私でもあるのです、それと一番は「人が好き」ということです。
個性が違って当然、個性とはそのままで個性です。何か人と違った特別な才能が在るから個性ではなく、存在そのものが個性であるのです。
そしてその個性で社会に役立つことが出来る、出来ていることが又素晴らしくもあるのです。
そして私の役目も存在するのです、嬉しい限りです。
見出しの語は「老子」の言葉です。「知りて知らずとするは尚なり。知らずして知れりとするは病(へい)なり」。
意は「知っていても知ったかぶりをしない。これが望ましい在り方だ。知りもしないのに知ったかぶりをする。これは重大な欠点だ」。ということです。
知りもしないのに知ったかぶりをするようでは、話にならない、これは問題外です。又少しのことを知ったからといって全てが出来るなどと思うことも笑止千万なことでもあります。
指導的立場にあったり、上に立つ立場であったりする人で犯す過ちは、全知全能の神の如く振る舞う人がおりますが、これまた論外なことで、口は災いの元となるのです。このようなことでは「人心が離れていって当然」となるのです。
問題は、知ったあと、「どうするかが処世の大事、人間関係の大事」です。
そんなことは百も承知していることとばかりに、したり顔をしてまくし立てる。これではかえって周囲の反感を買ってしまうのです。
人間関係では、何か尋ねられたら必要な事をキチンと答えるのは当然ですが、聞かれもしないのにまくし立てたり、上位にあるからといって何から何までいちゃもんをつけるようにして話すようであっては嫌われるだけなのです。
人は進化するのです、昨日と今日は全く違っているのです、私自身もそうありたいと日々祈り学んでいるわけですから、人様も同じだと思っているのです。
今月もしっかりと祈り、自己啓発をして弥生三月の名の如く新たな芽を出すように「人様を大事に、そして自身を大切に」歩んで参りましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌