後事の師

おはようございます。

昨日はお昼からみぞれと小雪がちらついたり、冷たい雨が降ったりの寒い中「にんげん学」大阪講座ご出席の皆さんありがとうございました。孟子の「性善論」第二回、具体的な四端論、仁義の話、人を思いやる心は誰にでもあるという具体例を以て示し、私たちの生活の中で実践することの意義、誰の心の中にでもある仁義の心で経営を行えば社会貢献が大になる、心しましょう。
4月は14日(火)です、お互い復習、予習しそれまでお元気にお過ごしください。
私は非常に臆病です、臆病で良かったと今では思っています。臆病というものは何事に対しても臆病なものです。
臆病者の人間の特質は(私はということですが)、誇大妄想をするということがあります。そして単純であるとも思っています。物事を余り悪く取らない、とらないというよりも、単純だからとれないといった方が良いのかもしれません。
良い方によい方にとりたいという希望的観測で生きている、生きてきたということです。困難な自体を目の前にしても臆病であるが故に楽観的に考えてしまう、だから臆病なくせに「逃げられない」という状況を作ってしまう。
そんな姿を見ている第三者は臆病とは取らず、勇気があると取ってしまう人がいるようです。しかし本当は臆病故の結果が「荷物を背負い込む」。
しかし「逃げたくない」という意識のあることも事実です。臆病なくせに逃げたくない、いつかは臆病から脱出したいと考えている。
「前事(ぜんじ)忘れざるは後事(こうじ)の師」(戦国策)。
前事を忘れないというのはくよくよと後悔を続けるというのではありません。前事とは、昔のことであり、これには、1、自分の体験、2、歴史上の経験、の二通りの意味が含まれます。いわゆる歴史から学ぶ。
このことを肝に銘じて歩めば、現代を生き、将来を生きる上での参考になると学んだのです。何故かと言いますと「逃げたくない」という自分の経験、体験からです。
戦国策では、特に重要なのは、失敗の経験に学ぶことだというのです。それをしないと、何度も同じ失敗をくり返す恐れがあるということです。これは賢明な生き方とは言えないのです。
思い出したくない苦い経験が在ればあるほど、しっかりと肝に銘じておかなければならないのです。そうすることによって逃げない自分、進歩も期待でき、夢に向かって歩むことも出来るのです。
私は己の臆病を知って己に負けないために目標を作って歩んできました。これからもこの生き様は変えません。なぜならば臆病は今でも直ってはいないからです。だからこそ人に勝つためではなく、自分から逃げ出さないために学び歩むのです。
明日は「にんげん学」一宮講座、自分の人生を正直に生きるための学びをご一緒しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌