積善

おはようございます。

毎日護摩を修します、護摩修法の功徳は計りしれません。皆さんから寄せられました祈願護摩木に書かれてあります願意を読み上げ炎の中に真言を誦し投じます。
多くの祈願は必ず成就します、何故かと言いますと、祈願なさる方は確信しているからです。
又ご先祖様の追善の回向も毎日修しています。何故多くの皆さんが追善回向をお頼みになられるかと申しますと、一言で言いますと「感謝」です。
現在自分のあること、家庭のあることを、仕事のあることに感謝しているのです、それらは皆「先人のお陰」という気持ちが強いのです。
日々自身のご先祖様への祈りもさることながら、一層の気持ちを表すために私に供養を申し込まれるのです。
もちろんこのような皆様方は社会の中でも感謝の行動をなされているのは当然です。
「積善の家には必ず余慶(よけい)あり」(易経(えききょう))。
「積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃(よおう)あり」と続きます。
「善行を積み重ねた家には、子々孫々まで、必ず幸いがおとずれる。不善を積み重ねた家には、子々孫々に至まで、必ず禍(わざわい)がふりかかる」という意味です。
よい行いをしていればよい報いがある。悪い行いをしていれば悪い報いがある。だから、よい報いを期待しようとするなら、ふだんの行いをつつしまなければならない。また、悪に向かっていることに気づいたら、早めに軌道修正しなければならないということです。
「典型的な因果応報論」です。
合理的にものごとを考えようとする人は、あるいはこういう思考を拒否するかもしれません。しかし、「これを自分に言い聞かせることによって」、今現在の自分の行いをつつしもうとするところに、「この言葉の意味がある」のです。
社会は上下の世界、長幼の序の世界、秩序の世界と「自覚する世界」。「理不尽な上下関係ではよろしくありません」、先ず己から「目上の人を敬い、年下の者に親しむ」ことは大切であり、これ以上和やかなことはなく「積善」は無いのです。
現在在るのは先輩、先人のお陰、このことがしっかりと行えるようにする為にも、言葉を持たぬご先祖に感謝する、神仏に祈るという豊かな心は大事です。
和することを望みながら争っている人を多く見かけます。それらは皆、己が一番という考え方から来るのです。
ご先祖があってこそ、神仏が在ってこそ、先輩があってこそという心が大事なのです。
善の善なることは先ず家の安泰、会社の安泰、社会の安泰からです。そこに力を尽くしてこそ己の安泰もあるのです。「和を以て貴しと為す、さからうこと無きを旨と為せ」(聖徳太子)。
不善の不善たる最たるものは秩序を乱すこと。秩序は身近な世界なればこそ保たねばならないのです。家庭の不安定、社内の不安定からは何の生産性も生まれないのです。
今夜は「にんげん学」一宮講座、会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌