時は来る

おはようございます。

「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございました。今学んでいる論語「郷党篇」は孔子の日常の在り方、この日常の在り方が実践の場での修練、人間は独りでいるときは「行儀の悪くなるもの」、「にんげん学」の学びは日常の生活を正すことにあります。
身近な人への行儀の悪さは、いざというときに出てきます、「体は心を表す」のです。
4月は30日と月末になりますが、それまで復習をしておいてください、来月も元気にお会いいたしましょう。
今朝の一宮は雨が降っております、冷たさを感じず目覚めをうながしているようです。
啓蟄の昨日、穏やかで温かく虫がはい出てくるような日差しでしたありがたいですね、季節は巡る、準備を確かにしていれば必ずチャンスは来たるということです。
そして「他の力がなければ、縁がなければ」芽が出ないことも知らせてくれます。
「時は来る」。
一日、一週間、一ヶ月、一年と、先人は時間を把握し人として為さなければならないこと教えてくれました。
何の準備もなく、学びも修練もせずにしては一日の過ぎるのも、時が経つことも分からず、人としての成長も無く、いたずらに人生を過ごしてしまうのです。
先日も書いたように私たちは経験から学ぶのです。失敗から学ぶのです。
失敗は目標があってのこと、経験をしてチャレンジ精神、意欲をかき立てられないようでは一日をムダに過ごしたといっても過言ではないのです。
自分が生きる、自分が立つ、自分が話す、自分が行動する、大切な自分が経験体験したことを無駄にするようであっては季節が巡り来たってもチャンスを逃すだけ、他の成長を呆然と見ているだけです。
呆然と時間を過ごさないためにも修練はしなければなりません、修練の時には評価を望んでも誰も評価はしないのです、花が咲かなければ誰も見に行かないが如くです、自然道理をしっかりと見ましょう。誤った情を観てはならないのです。
「天地(あまつちは)、くりかえし、くりかえしつつ、説かざる経を読む」(二宮尊徳)。
天地自然は言葉を発しませんが、私たちにお経を唱えてくださっているのです。真理を説いてくださっているのです。
自然とは自分を取り巻く全てを自然と捉えることです、ものを言う人間を一層自然と見なければ耳障りの悪い言葉や、目障りの悪いことを避けるようになるからです。人間ほどどうすることも出来ないものはないのですから。
嫌なことを避けること出来ても「己の心を避けることは出来ない」事を知るべきです。
一日一日を大切に、時を大切に経験を大切に過ごしていきましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌