おはようございます。

私たちはいろいろな知識を得ます。それは「体現体得、夢を実現」するためであり、空理空論とするためでも、理屈を言うためでもありません。
実践して現実とするためです。
知識を得て実現できていく人と、出来ていかない人が出来るのは何故でありましょうか。
「何故(なぜ)という話」。
故とは「温故知新」という言葉に使われていますように、過去の出来事、「過去の体現者を指す」言葉でもあります。
夢に向かってたゆまぬ努力が出来ていける人はこの「故」を大事にしている人であります。いわゆる「先人をお手本としているか否か」なのです。
どの世界に於いてもキラッと光るような人はすべからく「師、お手本とする人を持っている」のです。
何故かといいますと、「実現したいと本気で思っている」からです。
いくら知識を得ても「どのようになりたいのかの確かなイメージが先人なのです」。この確かなイメージが無ければ確かな日々とはなすことはできないからです。
お手本もなく、感情論で、やってみなければ分からない、やれば出来るといくら力んでみたとしても、そのような道理に添わない考えでは三日坊主で終わってしまうのです。
また知識を得たから出来るなどという安易な考え方ではいずれ途方に暮れてしまうのです。
どのような人になりたいのかを確かにしてこそ努力を継続できていくのです。知識が何故に知識となったのかも知らず、知識としたところで己のパワーとは出来ないのです。
知識を知識とした人を尊敬できてこそ、学問を学問とした先人を尊敬してこそたゆまぬ努力も叶うのです。
知識を得てその知識を以て体現するには「確かに歩んだ人をお手本とすべき」なのです。「故」という意味の深さを味わってみてください。
苦労して覚えて、それが何の意味もなさないと考えているとするならばそれは先人をお手本としていないことを反省すべきです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌