伏すときは伏す

おはようございます。

昨日一番の新幹線で東京を出るときには強い雨、名古屋で下車、一宮に先日愛車を預けていましたので取りに行き、雨の中、集中して高速を走り一時間半ほどで寺に帰りました。
景色が遮られるというのはある意味では集中して走ることが可能です。
こう考えますと人生何か障害が出来て閉ざされたとき、外に心を奪われなければ、集中出来るものです。
もし障害が出来て閉塞感にさいなまれるとするならば、それは目標がはっきりせず、志が足りないということもいえます。
「伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し」(菜根譚(さいこんたん))。
「長いあいだうずくまって力をたくわえていた鳥は、いったん飛び立てば、必ず高く舞いあがるのだ」という。菜根譚はこう語ったあとで、さらに、つぎのように付け加えています。
「他に先がけて開いた花は、散るのも早い。この道理さえわきまえていれば、途中でへたばる心配もないし、功をあせっていらいらすることもない」。
人生には逆境はつきものです。問題はその時期をどう過ごすかなのです。
もっともまずいのは、あせってバタバタ動き回ることです。そんなことをやっていたのでは、かえってエネルギーを消耗して駄目になってしまうのです。
対処療法で一時をしのいだとしても安定した人生などはあり得ないのです。
利を考えるより、義を思うことが平安な人生と為すことが出来るのです。
ピンチこそチャンス。逆境の時こそ、じつは自分を鍛え直すチャンスでもあるのです。社会貢献を考えることなく、自分の利だけを追い求めるばかりに空回り、どんなに知識を高めても義がなければ障害を生むだけとなるのです。
社会貢献を思い、あせらず騒がずじっくりと力を蓄え、時を待つ心境となりたいものです。
屈しなければ飛び上がることは出来ません。障害は「力を蓄えよ」という天意と受け止めるようでなければ志、夢がないともいえます。
徒にエネルギーを放出しても力とはならず、外に意識が奪われ気が伸びたままでいくらジャンプしようとしても不可能なのです。「屈して気を蓄え知識を磨き、錬磨し機を待つ」ことも大事です。
意地と論理が両輪となしえてこそ「真の意地となる」のです。「頭にかっかと来て」意地を張り仕事をしたとしても傷つくのが関の山で益はありません。
明日は「にんげん学」小倉講座。小倉地区の皆さん、普段の日程とは違っていますが、週明けの月曜、一週間をしっかりと歩むためにも学びをご一緒しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌