天理

おはようございます。

3月も第三週、今夜は「にんげん学」小倉講座ですのでお昼から小倉へ向かいます。明後日18日は愛宕寺の「春季・先祖、水子、物故者彼岸法要」ですので愛宕寺に18日までおります。
私たちは日々努力をしております、努力をしておりますが、その努力が実るには日数、時間を要します。
このことをしっかりと「道理、法則として」認識しておくべきです。
何でもかんでもやり始めたから直ぐに物事が叶うというような安易で道理にない勝手な思いこみでは、道理を疑い、人をも疑い、努力そのものが無意味と思いこむ、愚かな思考となるからです。
「子曰く、君子は上達し、小人は下達す」(論語・憲問第14・24条)。
意は「孔子言う、君子と小人とは、その向かう方向がおのずから違っている。すなわち君子は天理に循(したが)うから、一日一日と高いところ、明らかな所にと向上し、小人は人欲に循うから、一日一日と低いところにと下落していく。」。
いつもお話ししますが、君子とは「完成された人」というのではありません。この解釈は私個人の解釈ですが、君子を「目指す者」と私は「定義」し志を達成しようとしている現在進行形の人と考えております。
ですから夢、目標を持っている人が君子なのです。孔子は「我十五にして学に志し」と言った如く、「学ぶことを生涯とした」のです。
何事の上達も達成も道理、天理に循ってこそであります。
道理を外しては何事の完成も見ず、徒に時間が経過するだけであります。
初めの向かうところ「志」ほど大事なものはありません。毫髪(ごうはつ)の相違(極めて僅かなちがい)、髪の毛ほどの違いを言います。
天理に循う人と、人欲に循う人との相違は、ついには千里の差をいたすのです。
天理に循えば、必ず花も咲き、実もなることを見ていきますから、心にも余裕ができモチベーションが落ちずに、いくら人からの評価を得なくともあせらずに研鑽し上達できるのです。
ところが人欲に循っていく人は、何の根拠もない「思いこみだけで行動」していますから、何も得ることも完成することもならず、まだかまだかと評価を頼み、どんどんと下達するのみとなるのです。
皆さんは何を上達したいと願っておりますか、又何を評価して欲しいと願っておいででしょうか?。
「何を」ということもなく、日々を過ごしていたとしても人生に後れを取り、人を社会を非難して終わるだけの虚しい人生と為すしかないのです。
それよりも何よりも評価など気にしない、天理に循った人生を歩み、ゆったりと歩み自己研鑽しましょう、そう在れば反って評価は向こうからやってくるのです。
今夜は「にんげん学」小倉講座、しっかりと周囲に惑わされずに己の上達を為すために学んで参りましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌