縁起を見る

おはようございます。

愛宕寺「彼岸会法要」ご参拝ありがとうございました。沢山の方がそれぞれの家族の皆様とご一緒に感謝の祈り、感動です。まさしく「支え合う姿」でありました。
明日は心華寺の「彼岸会法要」です、是非お参りください。
「法を見る者は縁起を見る」。
苦楽には必ず原因があります。その原因には「必ず自分が存在」しています。「原因と種々な条件によって現象が起こり変化する」のです。
成功に至も、失敗に至も、そこには「道理、法」があるのです。
縁によって一瞬一瞬の心に惑わされ、悩まされ、苦しむ、とらえどころのない「自分の心に愚かさを気づかされる」のです。又自分の思いや行為が法に従わなければ妄想であり、真実ではないと「感得」することも大事です。
このことが「法を見る者は縁起を見る」事となるのです。
自分の勝手な行動が苦しみを生み、因果の道理の大事を「感得」できない者は過ちをくり返していくのです。
自分で考え行動して結果が思わしくなかったとき反省できず、疑問も感じないようであっては大事な自分を粗末にしていることに他なりません。
大切な人生、「因果の道理を見るべき」でありましょう。
自分の人生の成功を夢見ているのであれば「何によって(縁)成功するのか(起)」です。縁起とは「法則」です。
感得とは、理解できずとも「感じて得ること、直感」をいいます。
このことを心底から感得したとき人間の行動はいかようになるのでしょうか。
「まねぶ」のです。理解しようとするのではなく、成功者の「行動をまねる」のです。
論理とは道具、ツールです。歩くより車が楽といった如くです。とにもかくにも「まねる」ことを実践することです。
「下手な考え休むに似たり」。直感で感得したのであるならば「まねる」こと。
考えることが苦手であるならば一層「まねぶ」ことが成功への階段、秘訣です。「まねぶ事を続ければ」自然事の理解はなるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌