真実の自由

おはようございます。

心華寺「彼岸会法要」ご参拝ありがとうございました。仙台、東京、四国、九州と遠方の皆様方からのご回向のご依頼、確かに回向させていただきましたご報告いたします。
話は変わりますが、15日の日曜日から「断食修行」に来られている方があり、今日で一週間、満行日です。
「真実の自由」。
自分と静かに向かい合い、「法に沿っての不自由を体感」する。体感することで「真実の自由を得る」。
人間は「心で不自由を感じ」ます。「心で閉塞感を感じる」のです。
故に「身体が金縛りにあったように動かなくなる」。故に「心も動かなくなる」事となるのです。
修業にはいろいろな種類がありますが共通しているのは「率先して断つ」ということにあります。積極的、前向きに、健康的に「欠乏感、飢える」ことにあります。
適当なたとえではないかもしれませんが、満腹状態では「動きたくない」のが私たちです。
健康な空腹感は、健康な探求心、求道心を導くのです。
健康な知的欲求です。
これは道理を体得すれば誰でも感じることが可能な能力です。しかし現実の世界では内側からわいてくる探求心ではなく、「常に外からの要求」ですので、「しなければ、しなければ」という「強迫観念となり、強迫観念の満腹感となり」心身共に「停止状態」となってしまい、せっかくの才能、機能が働かなくなってしまうのです。
人間には素晴らしい能力があります。それは「固定観念」です。固定観念とは「くり返す観念」です。これは良い方に回れば「良い方に展開し」、悪い方に回れば「悪い方に展開する」ものです。
自然の道理を見れば理解されますが、自然は変わるものと、変わらざるものがあります。一番わかりやすいのが「四季」です。四季の移ろいは変わりません、故に変化、変わりが生じるのです。毎年花が咲き、昨年の花とは全く違うが如くです。
いわゆる変わらないが故に進化、変化があるのです。
そこで気づくべきは、道理、真理に基づいての固定観念です。
自らの意志で行動するか、外からの意志によって動かされるのかです。
こう見ていきますと「どうあるべきかが分かると思います」。「自らの意志で動く」です。
そうすることで「外からの評価を待たない」自分が完成されるのです。そうすることで「強迫観念を持たない」自分となり、積極的に地位や、賞賛を得たいと考えず、「為すべき事を為す」という積極的思考、行動となり、自らの「責任感」となるのです。
このことを「知足、足るを知る」というのです。己の限界を知ることです。ここに精神が止まってさえいれば豊かな人生と為すのです。自ら足るを知り、積極的に健康に飢えることです。
一度皆さんもチャレンジしてみてください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌