戯論

おはようございます。

弥生3月も今日で終わります、今月のご愛読ありがとうございました。本当に毎日お読みいただき感謝いたします。書き込むことでお陰様で一日をピリッとさせていただいております。
有言実行、「言ったことを行い、行ったことを言う」ことを信条としております、一つ一つが大事。
一昨日入山されました研修生の皆さんは午後2時には下山、研修生の皆様に共通してお話しさせていただいている一つに「戯論(けろん)とするなかれ」、ということを声を大にしてお話ししております。
「戯論」。
私たちは自身の人生を確立するために知識を得ています。「実践するため」に知識を得たということです。
知っていても行動しない学問、知識を「戯論」といいます。
「戯れに学んだ」ということです。また知識を自己確立するためではなく、「言い訳に用いる、誤魔化す、すり替えをする」ことも戯論と言います。
言葉、語は行動の「原動力」です。その素晴らしい力を持った言葉を「無意味、無益」としてはならないのです。
知っていて行わない、知って行動しないということほど人生を虚しく無意味にしてしまう自棄行為はないのです。
知識は目標への「道程を示している」素晴らしい原動力です。それを虚しく戯論としてしまうようであってはなりません。
学んだことを戯論としないためには。
「言は行を顧(かえり)み、行は言を顧む」(中庸)。
言行一致と為すことは大変難しいことです、ともすれば「言うことが先走って行動がそれに伴わない」からであります。このようにならないためにも「言は行を顧み、行は言を顧む」が必要なのです。
「言は行を顧み」とは、何か発言しようとするときには、行動がそれに「伴っているかどうかを考える」。そうすれば、発言におのずからブレーキがかかるのだというのです。
「行は言を顧む」とは、何か行動を起こすときは、「自分の発言を思い出す」。そうすれば発言に比べてまだまだ行動が「足りないのではないかと反省し」、「いっそう励むようになる」、ということをいっているのです。
人生いずれにしましても「言動の過不足で」信頼を得たり、不信を持たれてしまうことに注意すべきです。
知識学問を戯論としないために実践が大事であることは間違いのないところです。
全国の新入社員の皆さん明日の入社式には堂々と胸を張ってしっかりとした姿勢で臨んでください。また先輩の皆さんは暖かく迎えてください。そして先輩として新人の皆さんに恥ずかしくないように振る舞ってください。
今月のご愛読ありがとうございました。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌