動中の工夫

おはようございます。

今の時期は研修で忙しくしてはいますが、日常のお勤めも欠かしません、朝は弟子の誠澄が座禅指導、私は護摩を修しております。
また皆さんからの依頼で回向、ご祈祷、お祓いも致します。身体は一つしかありません、しかし予定を確かにして調整をすることで一日を様々に活用することが出来ます。
「動中の工夫」。
知識を得、方法を知ったなら、それを確かに自分のものとするにはやはり「行動実践が肝要」。
今から32年前比叡山を下山しました。当寺は今のようにお参りの方も研修に来られる方も一人もいません。
皆さんの世界で言いますと、仕事のない状態。仕事とは「仕える事」だと捉えています。
皆さんは仕えるとは「何に仕えることだ」とお考えでしょう?。
仕えるとは「目の前のことに仕える」ことをいいます。目の前のことに「力を発揮すること」を仕えるというのです。
ですから誰一人来なかった当時私は目の前のこと、作務(掃除)、お勤め、修業に仕えたのです。いわゆる行動をした、仕える実践を徹底したのです。
機械でも何でも使わなければ「錆がきます」。人間は動かなければ頭も身体も錆が来るのです。このことが一番よろしくありません。無限の可能性を持っているのが私たちでもあるからです。
人が来ないから、仕事がないからといって、「ぼぉ〜っとしているようではいけない」のです。
作務(務めを作る)を徹底し、お勤めを徹底し、修業を徹底したのです。自ら為すことを作る、このことがなければ「与えられることは無い」のです。
知識、法則は身体を動かし実践することで血肉となります。そこから発想となし、工夫が生じ多くの人に役立てる自身が現れてくるのです。
仕事がないからといって呆然としていたのでは心身共に錆が回るだけ。
「動けば発想がひらめく」のです。この真理を知る、体得ください。
この意志を強くすればただ動き回り「ウロウロ」するのではなく、動くことに「意義が出る」のです、意義が出ますから「輝く」のです。輝きますから自然人様はあなたを「注視注目」することとなるのです。
いわゆるチャンスがもたらされる。
動中の工夫はとてつもないものを生み出します。行動もなく頭の中で考えているのは、考えているのではなく、悶々としていることで、悩んでいるのです。
行動から考え出た工夫は何にも勝るものです、行動しましょう。いつも申しますが続けることです。
続けた結果、寺はお参りの方も増え、研修の方も来てくださるようになったのです。今日も目の前のことで作務を行います。行動することで希望を失わず、行動する喜びを又新たにするのです。
午前中に120名の若者達が入山してきます、楽しみに出迎えます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌