才能と人格

おはようございます。

今朝は昨日の強い雨も止み空には鎌のような三日月が星と共に輝いています。ひんやりとして気持ちの良い朝。
新入社員の皆さんの研修も昨日から明日までの二泊三日で一段落です。今年もお陰様で沢山の企業様からご活用いただき感謝いたします。
不思議なもので私の可能性を開いて下されたのは誰でもありません、社会の皆様です。
私は私の信じる道を歩んできました。研修をやろうなどと考えて比叡山に入山し修業したわけではなかったわけですから、自分が信じ修業してきたことは間違いなかったと感謝しております。何故かと申しますと「一つのことを修業し続けてきたから」こそだと思うからです。
新人の皆様も自信の信じた道をこれまで歩んでこられたことと思われます。その道を大事にして磨き上げていってください。
そして上司の方や先輩諸氏の言葉に素直に従う自分であってください、第三者が観る目は確かなものがあるということを私は実感、体感しているからです、「全て我が師」。
「徳は才の主、才は徳の奴(ど)なり」(菜根譚)。
立派な社会人となるためには、どんな条件が必要なのでしょう。一つは「才能(能力)」であります。これがなかったら、厳しい現実生活を生き抜いていくことは出来ません。
では、才能さえあればそれで十分かといえば、けっしてそうではありません。もう一つは「徳」、すなわち「人格的な要件を必要とする」のです。
「才能と人格」。これは「車の両輪のようなもの」だと考えてください。
では、二つの要件のうち、どちらが先、重要なのでしょう。「菜根譚」によれば、「人格の方が主人で、才能は召使いにすぎない」のだ、というのです。そしてこう付け加えているのです。
「才能には恵まれても人格がともなわないのは、主人のいない家で召使いがわがもの顔に振る舞っているようなものだ。これでは、せっかくの家も妖怪変化の巣窟と化してしまう」というのです。
よく、やり手の人物が意外なつまずき方をします。それはやはり才能(能力)だけが先走って人格(徳)が伴っていないからに違いないのです。
若い皆さんは素晴らしい才能を持っております、それを活かされないからといって不満顔や不平を言うのではなく、「新しい能力の扉を開いてくれたのだ」と思うくらいの人格(徳)を持つべきでしょう。
人柄で「人生は大きく伸びる」事となるのです。又「つまずく本ともなる」のです。
能力のある自分にこんな事しかさせないのか、上の者はどこを見ているのかというような一時の不遇と思われることに不満を言って、せっかくの新たな能力を活かすチャンスを逃す愚を犯さないようにしなければなりません。
自身の中にある才能を社会に活かすということを徳を以て知り、どのようなことでも社会貢献が出来ることに喜びを見いだすことが確かな人生と為すと謂うことは私の経験から間違いのないところです。
徳を以て才能を磨き続けることが一層役立っていくこととなるのです、この世は不思議というしかないのです。
自分の思っていたことと違う使われ方をしたとしても腐らずに人を信じるべきです、あなたが人を信じないというのであれば人も又あなたを信じないでありましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌