分徳

おはようございます。

昨日は快晴で心地よい風が吹き抜ける一日でした。若葉も楽しげに揺れて話しかけてくれているようにも。
遠近の信者さんからタケノコや初夏の香り漂うお供えが届いております、ありがたいですね、折々の季節のお供え物を送ってくださる、その手間暇をかけてくださる心根の優しさが今の季節の風のようです。全国の皆さんありがとうございます、ご本尊様にお供えをしてお参りに来られた皆さんに少しずつお下がりとしてお裾分けを致します。
今日午後3時過ぎには研修生の皆さんも下山、見送った後私も下関に出かけます。明日は愛宕寺の「月例・幸福開運護摩祈願祭」、是非明日は愛宕寺にお参りください。
27日は「にんげん学」小倉講座、29日は愛宕寺「花祭り」と予定が続きます。そして30日は今月最後となりました「にんげん学」一宮講座です。一宮の皆さん今月は月末になりましたが楽しみに出かけますのでよろしくお願いいたします。
「分徳(ぶんとく)」。
徳を分ける、これは共に、多くの人と喜びを分かち合うということです。仕事も一人でやるより二人で行えば「喜びが二倍」となります。
お菓子も一人で食べることも美味しいですが、気のあった同士で食べればこれまた「喜びが二倍」です。分かち合う人が多ければ多いほど喜びが何十倍、いや何百倍何千倍ともなるのです。
それが企業であり、社会です。一つの仕事を多くの人が分かち合っているのです。
徳は「分かち合うことが出来る」のです。又分かち合えることに気づくことで可能性を広げ大きくしていくのです。
徳は分かち合えば合うほど大きく広く豊かになり、一向に減りません。
夢も希望も持ちながら分かち合う心に目覚められない人はいつまで経っても一人苦しみ、悩むこととなるのです。
独り占めにしたい、人より多く何事も得たい、何で苦労した物を分かち合わなければならないのだ、と我欲で人生を閉ざしてしまう、欲とは恐ろしいものです。
徳とはいつもお話ししますように「能力」です。この能力は潜在能力です。潜在能力は縁によって開花されるのです。
出会いによって私たちは夢と為し、志と為し、学ぶ動機付けと為します。いわゆる「徳を分けていただいた、気づかせていただいた」のです。
この人に教えていただいた、あの人に気づかせていただいたという喜びが人生でもあるのです。
昨日の人間性の話ではありませんが、この「徳」に目覚めて分かち合うことが人生でもあるのです。
共有感こそ人生の喜びでしょう。この喜びは年令を超えればこえるほど嬉しいことはないのです。
この共有感に社会の多くの人が目覚めれば不況の時に首を切ったりすることなく、分かち合って仕事をし、辛抱ではなく、又次の夢に向かって多くの人と分かち合う仕事作りを目指すことが出来るのです。
分徳、分かち合う喜びに目覚めましょう。人は共に歩める人がいればこそ勇気を失わないのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌