疑わない

おはようございます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」ご参拝ありがとうございました。祈りの言葉を我が心と為し、現実に迷わず対する、そして素直に何事も受け入れて又明日への希望を失わない、だからこそ幸福はもたらされるのです。
日参り、週参り、月参りを怠らずいたしましょう。
祈りの心は「慈悲、思いやり」です、祈りの心を心として行動としている者の頭には必ず多くのチャンスがもたらされ、仕事も増えることとなり、多くの人と分かち合うこととなり、繁栄はもたらされるのです。
「まだかまだか」などという「疑いはない」のです。「何事も幸せ」、「何事もチャンス」、「何事も修練」として受け止める「素直な姿勢が祈る心」だからです。
今朝は昨日の夜からの雨が降り続いています。春先にはいろいろな動植物が出る季節、そんな季節に冷たい雨が降ったり、冷たい風が吹いたりとするのも春、それは確かな芽吹きと固い実をつけるための自然の愛情のメカニズムなのです。
試練のないままに育てば良い実もつかず美味しくもならないからです。
「疑わない」。
人生も同じです。歩み出したときは自身も周囲も情熱に燃え期待に胸ふくらませ、不安もありましょうが「自分の思いの世界にあり」お互い希望に溢れています。
しばらくしますと現実の厳しさに直面し、実力が見え始め、現実の対応の出来不出来も見えてきます。そして自分の偏った見方で相手を判断し、欠点を見て長所を見ないようになってしまいがちとなるのです。
時に「自分を疑わず、周囲を疑わない」ことが肝要。
「難(なん)に臨(のそ)んで苟(いやしく)も免(まぬが)れんとするなかれ」(礼記)。
困難にぶつかっても、逃げ腰にならないで、真っ正面から立ち向かって行けと礼記ではいうのです。一口に困難といっても、様々な困難があります。この場合、どんな困難にさいしても、恐れず立ち向かっていけというのではない、それでは単なる猪武者になってしまいます。
礼記の注には「義を傷(やぶ)らんがためなり」とあります。逃げるのは「義に反する行為」、だから、それは「まずいぞ」というのです。
従ってこの言葉は、原点に則して読みますと、今まさに新しい人生を一歩踏み出し、又受け入れて正しいと信じ進んだわけですので、ここで意気に感じることなく、困難な場面に直面したからといって避けるのでは「義に反する」、「意気に反する」ぞということです。
信頼関係が固く結ばれるということは「困難に対処してこそ」であります。
新しい一歩を踏み出したということは、自分が信じ踏み出したはずです。また信じて受け入れたはずです。
自分が信じ歩み出し困難にたじろぐようであっては、人生の根幹に関わってくるのです。
今日から大型連休、気をつけて気を抜かずにお休みください、連休中、寺で修業という心の休養も一興ですが?。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌