教えを乞う

おはようございます。

困ったとき皆さんは相談する人をお持ちですか、人生誰でも困るときはあるものです、何故困ったという気持ち、感情が生まれるのでしょうか、それは「向上心があるから」です。
誰しも無意識、心の中に向上心があるのです。
この「向上心がある」ということを忘れないで忘れて欲しいのです。矛盾したことをいいますが、いわゆる無心です。
では困ったことを解決するにはどうすればいいのかという「方法」です。
第一に「人と競争することをせず、自分の向上を目指す」。第二に「聞くことが恥ずかしいという思いを捨てる」。第三に「教えを乞う」、第四に「反発心を無くす」です。
この四つを大事にして歩むことです。
「教えを乞う大事」。
皆さんは教えを乞うことを恥と考えてはいませんか、もし恥と考えているとするならばそれは「大きな誤り」です。「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」ともいいます。
論語「為政篇第二、第十七条」に「子曰く、由(ゆう)、女(なんじ)に之(これ)を知(し)ることを誨(おし)えん乎(か)。之(これ)を知(し)るを之(これ)を知(し)ると為(な)し、知(し)らざるを知(し)らずと為(な)す。是(こ)れ知(し)る也(なり)。」
意は「孔子は、子路に向かってその名を呼び、由よ、なんじに物事を知るということを教えてやろう。自分の知っていることは、この事は知っておる事とし、知らない事は、この事はまだ知らない事であると、心にはっきり区別して認識するがよい。これが本当に知ることであり、それが又、更に知識を得ていく道である、と言った。」
「知るを知るとなし、知らずを知らずと為す」ことはとても大事なことです。ややもすると私たちは少しの知識で「全てを知ったかのような落とし穴にはまりこみ」二進も三進もいかない状況を生み出してしまいかねないからです。
そうして「困った事態を引き起こしてしまう」。
由は、孔子の門人、仲由で、字を子路といいます。門弟子中、殊に勇を以て称されたが、ややもすると、自分のまだ知らない事まで分かっていることのように考えがちであった。そこでその性癖を矯(た)めようとしたのがこの言葉であります、しかしこのことは、独り子路のみに限らず、我々の日常経験にもよくあることです、我々としても、自分の知っておる事と知らない事との区別の曖昧なために、「思わぬ過ちを犯すことの多い」のを反省しなければならないのです。
知らないことを知っているという間違った意地、反発心に私たちは「要注意すべき」なのです。
新人の皆さんにも多くの皆さんにもよくお話することですが、「知っていることと、知らないことは、どちらが多いのですか」という話です。話だけですと、皆さんの答えは見事に「知らないこと」と答えてくださいます。ですが「現実では相手があり」全く「逆な事態となる」のがほとんどなのです。
上司の方や、同僚、または後輩の方を目の前にしますと「恥をかきたくない、知らないと取られたくない」という思いが生じ、自分を欺き、人を欺き「結果自分を困難な状況に追い詰めてしまう」こととなるのです。
昨今は「鬱病」になる人が大勢います、又予備軍も沢山あります。私もそのウチの一人かもしれません、しかし私は過去に経験して以来、「人とは競争しない」ということに目覚めてからは大丈夫のようです。
皆さん学びましょう、何を学ぶのでしょうか、「心、心学」です。自分の心の意外性を知ることも長い人生では大事なのです。
進まなければならないときもあり、退かなければならないときもあるのが人生、大いなる使命、社会貢献を淡々と為すためにも向上心をただの反発心にして己を窮地に追い込むような意地としないように、自身を真の向上心に目覚めさす「心学」をご一緒に致しましょう。
明晩は「にんげん学」小倉講座です。会場でお待ちいたしております。
負けたくないという意地だけでは「人生の勝利と安心は手にすることは叶わない」のです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌