基礎が大事

おはようございます。

愛宕寺「花祭り」ご参拝ありがとうございました、先日とは違って暖かく、とても嬉しく感謝いたします。
何が嬉しいかと申しますと、よそのお子様に祝福下さる皆様の行為行動に大きな喜びを感じるからです。
人は「自分の喜びは分かち合って欲しいと願うのが常」、人様の喜びを喜びとすることが在ることをとても嬉しく思うのです、そのことが御仏の慈悲、教えに叶うことでもありますので何重にも嬉しくなります。
このような人が多くあることを常に祈っております。
人の喜びを喜びと出来ることを自然と為すことが出来るようになりますと、社会が明るくなるでありましょう。
また不思議なことなのですが、否このことは当然の結果かもしれません。人様の喜びを自然と出来るようになりますと、発想、気づきを多くしていくのです。結果社会や会社から必要とされる人材と為していくのです。
いろいろな人と出会いを重ねてきましてこのようなことを多く実感し、又見ております。
「隣に蔵が建てば、私は腹を立てる」。
お経にこのようなたとえ話があります。隣人が立派な二階建ての家を建てたのです。それを見た家の主は早速大工さんを呼んで二階建てを注文しました。そして工事に取りかかりましたところ、大工さんに、何をやっている、私は二階が欲しいのだ、といって基礎工事を叱ったという話です。
このことは読めば何とばからしいと理解できるのですが、実際現実の話となりますと私たちはこのような愚かを為していることが多々あるのです。
「結果だけを求める愚か」を犯さないためにも「人様の喜びを喜びとする」ことが肝要なのです。
そのことが人間性の基本を形成していくこととなり、土台がしっかりとできあがれば知らず知らずの中に成功という大きな無形の建物を建てることが可能となるのです。
人様の喜びを喜びと出来ないという現実は何を物語っているかと言いますと、実は「限界」を物語っているのです。
私は出来ている、もしくは感動がないともいえます。ですからせっかく参考に出来る人と接しても参考に出来ず、お手本にも出来ず、自ら限界を露呈しているようなものなのです。
しかしこのことの一番悲しいことは「本人自身が気づいていない」という現実です。私たちはこのような愚かな行為を為すべきではないのです。
今月もご愛読ありがとうございました。今月は新人の皆様が送り込んで下された新風を吸い、新鮮な気持ちとなり刺激を受け仕事に携わったことでしょう。
私も新人の皆様にお話をさせていただき、新たな気づきと反省をいっぱいいただきました。
明日からは五月、鯉のぼりを空に泳がせるさわやかな風の如く、又田んぼに水がキラキラと輝いている姿に、未来の実りを夢見て歩もうと誓っております。
その前に今夜は「にんげん学」一宮講座、一宮の皆さん会場でお待ちいたしております、一ヶ月の締めをしっかりと行いたいと思います。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌