利他

おはようございます。

「にんげん学」一宮講座ご出席ありがとうございました。月末に「にんげん学」講座を行うということは初めてでしたが多忙の中でも沢山のご出席をいただき嬉しいことでした。
それだけしっかりと予定を確かにされたということでありましょう。感謝いたします。
今朝も五月晴れ、さわやかな一日となりそうです。鯉のぼりの姿も見られ、田んぼにも水が張られ子供の頃を思い出します。今月もよろしくご愛読ください。
子供の頃は自分のことしか考えず、楽しいことと悲しいことの両極ばかりだったように思えます。泣き虫の私に母親がよく云っていた言葉があります、「泣いたカラスがもう笑う」という言葉です、それくらい極端で単純だったのかもしれません。
私の日めくりカレンダーに
自分のことを考えたら 人にぶつかり 
人のことを考えたら 自由になった
子供時代というよりも物事が確かに考えられなかったときは不自由で人とぶつかることばかり。
「己を忘れて他を利する」(伝教大師)。
慈悲、仁の生き方をすればするほど人生は楽しく豊かに在ることが出来ます、年令を重ね、経験を多くし、人様と接すれば接するほど先の言葉の偉大さを実感しております。
己を忘れるということは、「己に執着しない」ということです。己に執着しないことの利は「心が自由になる、物から自由になる」ことです。
己自身で「己を束縛しないようになる」のです。人の不自由は何故生じるかと言いますと「己の心で自縄自縛」することで不自由となるのです。
老子八十一章に、
「信言は美ならず、美言は信ならず。善き者は弁ぜず、弁ずる者は善からず。知る者は博からず、博き者は知らず。聖人は積まず。既(ことごと)く以て人の為にし、己(おのれ)愈(いよいよ)有す。既く以て人に与え、己愈多し。
天の道は、利して害せず、聖人の道は、為して争わず。」とあります。
意は「まことのある言葉は美しくなく、美しい言葉にはまことはありません。善人はあれこれ弁じ立てることなく、あれこれと弁じ立てる者は善人ではありません。(真実を)知っている人は博識ではなく、博識ぶる人は本当のところを知っていないのです。聖人は自分のためにはものを蓄積しません。すべて他人のためにしますが、結局は自分の持ちものが一層ふえます。すべて他人に与えますが、いつの間にか自分は一層多くのものを手に入れます。
このように天の道に従った正しい生き方は、他人に利益を与えても害することはなく、聖人の在り方は、人のために仕事をしますが(決して利益を他人と)争ったりはしません。」
伝教大師の語も老子の語も、なるほどと肯くしかありません。
私たちは人のためといいながら結局の所は自分の利を考えた言葉であり行動であることに思いをはせることも大事です。
善言を言いながら結果人と争うことを為してしまうということが「どこに」あるのかを考えるべきです。
仕事がない、売れない等々で悩んでしまうことの原因は結局の所「自分のことしか考えていない」ということにあるということです。
「知る者は言わず、言う者は知らず」です。いくら正しいことを言っているつもりでも意識が自分の利ばかりでは悩むしかないことを知るべきです。
さわやかな季節、真実自分のために為すことは「他を利する」天道にあることを連休中にじっくりと考えるのも大事ではないでしょうか。
今月も祈り、学びと精進してまいりましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌