本を務む

おはようございます。

東京から五月晴れの中、見事な富士のお山を拝み帰って来ました。行くおりには頂上は拝むことが出来なかったものの、裾野の広さには改めて驚きを覚えました。自身を省みて裾野の狭さに反省しております。
高い山は「裾野が広い」。
上に上にという気持ちばかりで裾野の広がりを考えない、それではいくら上に何かを築こうと考えても土台無理な話です。
今日は第二日曜日ですので心華寺「水子供養祭」を午前10時から行います。水子をお持ちの皆さん是非お参りください。
「本を務む」。
大きく物を積み上げようとすれば土台を大きくしなければなりません、これは理の当然です。
私たちは先を見、将来を見据えて今を歩んでいます。このことはとても大事ですが、「何を土台とするか」、「何を本としていくか」をハッキリとしなければなりません。そうしなければ「積み上げる土台も何もなく、積み上げられない」からです。
日々を生活する上で土台がなければ外の世界に心を奪われて何も築き上げていくことにはならないという結果に終わってしまうのです。
思いだけが先行し、焦りばかりが募り、時間だけが虚しく過ぎてしまうのです。
論語「学而第一、第二条」に、「有子(ゆうし)曰く、其の人と為(な)りや孝弟(こうてい)にして、上を犯すことを好む者は鮮(すく)なし。上を犯すことを好まずして乱を作(な)すことを好む者は、未だ之(これ)有らざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟は、其れ仁を為す本か。」。
意は「有子言う、その人がらが親につかえて孝であり、兄長に対して従順である人は、自分の目の上の人を犯ししのぐことを好む者は少ない。又、目上の人を犯ししのぐことを好まないで、叛乱を起こして世間をさわがせることを好む者は、これまた絶対にあり得ない。一体、徳ある君子人という者は、物事の根本に力を尽くすものである。根本さえ確立すれば、自然に道は生じてくる。こう考えてくると、孝弟は、仁道を実現していく上の根本であるというべきであろうか。」。
孔子の言う学問は、結局、仁道を実現することにその目標を置いているのです。仁道を実現していく場合に孝弟がその根本となることを、有子の言葉によって私たちに教えているのです。
この「根本を務める」という考え方が、孔子の教えの基礎をなすものなのです。このことを「務本(むほん)の学」といいます。
私たちが学ぶと云うことも同じでありましょう。自身の目指す人生を実現するために学んでいるのです。そのためにも何を本と為すのか、何に力を尽くして務めるのかを確かにすべきなのです。
本を努めれば自然道が開かれ自身の為すべき使命が目の前に現れてくるのです。
偉大な自分の人生を真に偉大と為すためにも「裾野を広げる」日々の力を尽くす「本を確かに」すべきです。
富士のお山の裾野の広大さを目の当たりにして沸々と勇気をたぎらせて新幹線の中から手を合わせました。
今日は母の日です、人生を豊かにし道を確立する親孝行、改めて感謝をしましょう。
明日は「にんげん学」京都講座、京都地区の皆さん会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌