いつも夢見て

おはようございます。

明日は愛宕寺の「月例・幸福開運護摩祈願祭」です。午前10時より私の話、そして法要、ご一緒に幸せな時間を過ごしましょう、幸い明日は日曜日です、ご家族でまたお友達とご一緒に、お待ちしております。
「いつも夢見て」
私は未来をいつも夢見て過ごしております、夢の実現を願ってはいますが、「いつなるの、いつなるの」などという思いはありません。
私は「なる」という確信を持って日々を楽しく過ごしているのです。ですから毎日が楽しいのです。このような思いで数十年過ごしており、その思いの中で「思い以上の幸せが沢山いただけた」、「喜びの出会いが沢山あった」ということです。
このことが夢以上の「喜びと感動」であります。
私は「慈悲、仁で生きる」という処世観を持っています。このことを通して生涯を生きるというのが夢であります。
もしも夢を持っていながら不満を持っているという方がいるとするならばそれは「傲慢」であり「贅沢」でもあります。
何故かと言いますと自分の夢を人から指示して欲しい、賞賛して欲しいという思いはもう贅沢でしょう、自分の夢を自分が楽しめないのに良い出会いはないのです。
自分の方向を持ちながらそれ以上に人様からの指示を欲しがる、では不満しかならないのです。欲張りでもあるのです。心が安定していない、心が人の心に奪われているといっても良いでしょう。
道を信じ歩み続ければ必ず「目標にたどり着く」という楽しい思いがあればこそ歩み始めたのです。「いつなるの」とか「人の評価を待つ」ようでは夢とは言い難いのです。
夢は必ず実現するという「強い思いで道を信じ楽しく歩めば」道中でいろいろな人との出会いが得られ、更に楽しい人生と化すのです。
いつも申しますように「幸せとは」自身が「ラッキーという思いを抱くこと」です。皆さんは自身の人生をラッキーと思っていますか、もしラッキーと思えないようであれば、今日からラッキーと思ってください。
ラッキーと思ったことを胸に秘め歩む過程で得られるものを「福」というのです。自分の人生をアンラッキーだと考えている人は「福は得られない」のです。
ラッキーと信じて歩んだお陰で私は沢山の「福を得た」のです。
目の前のことを信じて楽しくイキイキと仕事をしている人と、いつかいつかと人を疑うような辛気くさい思いで仕事をしている人とどちらを人は好むでしょうか、当然楽しくイキイキと信じて仕事をする人でしょう。
夢を持っている人と私は沢山会っております、そのような方の生き様は仕事を作り出してしまうのです、何故かと言いますと仕事、目の前の世界から又一段と楽しみ喜びを多くすることを体験経験から知っているからなのです。
筆舌に尽くせないほど多くの幸福を私は得ました、だからこそ確信を持って月例祭を「幸福開運と称する」のです。皆さんにも大きな夢を持っていただき沢山の幸福と開運を叶えて欲しいと念じるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌