誠実さと気転

おはようございます。

昨日夕方6時過ぎに善光寺から無事帰ってきました、皆さん充実したお参りを為され感動の面持ちでしっかりと阿弥陀様のご利益をいただいたようです。
素晴らしいお参りをしていただきました、参加者の皆さん又ご一緒ください。
さわやかな昨日一ヶ月ぶりの検診「一病息災」という語を励みにしております。この語は「ちょっとした病気があることによって身体を大切にする」故に「息災と為す」という意味です。
皆さんは自分の「欠点」を承知していますか、欠点を自覚できていますと大いに人生にとっては期待が持てます。しかし欠点を知らずにおりますと、これはいただけません。
また欠点を知っていながら改めようとしない、注意をしないということでは一層いただけません。このことは「人を害し、己をも害する」からです。知らない事も罪ですが、それ以上に恐ろしいことでもあります。
誰しも豊かな人生をと願っているはず、長所、欠点は誰にでもあるもの、「長所は欠点、欠点は長所」であるとも言われます。
病と同じように欠点を知ることによって人生を「息災」に出来ます。
私たちは人生を息災にまた豊かにするには「己を修める」ことが一番の要道であることは何度も書いてきました。己を修めるだけで富も豊かさも得られるのです。
「誠実さと気転」。
人生を息災に過ごすためには「欠点を知ることが肝要」。もしもこの欠点を知りながら見過ごしてしまいますと「己を損ない、人を損ない」ます。
私たちは日々人様と共に生活をしております。家族、仕事仲間等々です。人生は家庭も仕事も大事、車の両輪、どちらが大事と言うことはありません。
家庭に重点を置かなければならないときもあれば、仕事に重点を置かなければならないときもあります。
どちらに偏ったとしても発展はありません。
家庭生活、会社生活の中、どちらも「お互いがお互いをサポートしてもらって成り立っています」、またサポートされているからこそ安心して生活も仕事も出来ていくのです。
このサポートされている部分が「欠点だ」という自覚を持つことです。
自覚を持つことでどのような意識が生じるかと言いますと「感謝」ですし、「甘えない気持ち」です。又欠点を「直そうとする意欲が生まれ」ますし、
次に人様へ対する「気配り」が生まれることが一番大きいのです。
菜根譚150章に「人と作(な)るに、点の真懇(しんこん)の念頭無くば、便(すなわ)ち個の花子(かし)と成り、事々皆虚なり。世を渉(わた)るに、段の円活の機趣無くば、便ち是れ個の木人にして、処々に碍(さわり)有り。」。
意は「一人前の人間であるためには、少しばかりの誠実な心がなければ、それは一人の乞食と同じ事になり、その人のやることなすことすべていつわりである。
また、世の中を渡るためには、少しばかりの滞(とどこう)りなく切り回す気転がなければ、それは一個の人形と同じ事になり、つまりはどこに行っても障害につき当たる」。
生かされている、お陰であるという心、気持ちがなければ己の欠点さえも気づかず、事に当たっては誠実さも生まれないのです。
それ以上に人形と同じで、気転も無く(気配りも、心配もしないこと)、機械的に、人形のような人間であるというのです。
故に障害があってもサポートしていただいたという感謝の念もわかずですから、「障害がつきまとう」ことにもなるのです。
一病息災、欠点を知り、感謝をして何事にも誠意を尽くし、気転を利かせられるようにしましょう。私たちは情味厚い人間であり、人形ではないのです。
気転、気配りがなければ仕事でも何でも「滞る」だけです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌