目の前を大事にするためには

おはようございます。

5月も今日で終わりです、一ヶ月のご愛読ありがとうございました。大型連休から始まった5月、日曜日で締めくくり、何かを暗示しているようにも思えます。
自然で無理のない日々を送りなさいと天は言っているのかもしれません、自分の都合から始めれば行き詰まることへの戒めなのかもしれません。
目標を立てるのは大事なこと、そして実現に向かって歩むことも大事なこと、しかしそれとてもある程度の余裕を持って当たらなければ余裕を失ってせっかく立てた目標も仇になってしまいかねません、それでは逆効果です。
長期目標、中期目標、短期目標の大事がそこに在るのです。
「目の前の大事」。
過去、現在、未来と時間が流れていくことは永遠です、この流れを止めることは出来ません、だからこそ永遠の時間を生きる「長期目標」の「志」が大事です。
私たちは「生かされている」ことは間違いがありません、生かされているということは「生かし合っている」ことです。
そこで「慈悲」、「己を忘れて他を利する」が大事となるのです。
人のために生きるなどという大上段から考えてやるのではなく、当たり前のこと、普通のこととして日常に行動することが大事です。
食べるもの一つ取ってみても生かされていることは分かります、どんなに偉そうに言ったとしても「食物によって生かされている」ことは確かなことです。
仕事にしても社会の多くの皆さんが在ることで「仕事がある」のです。すべて生かされている。
長期的に「共にある」ことを考えていけば必然的に「人様のお役に立つ発想と為す」のです。そして「行動と為す」のです。
思いやりを以て行動とすることを生涯とすれば当然社会から会社から「必要とされる」のです。
しかし自分のことばかりしか考えないようであっては「窮する」しかないのです。窮する、行き詰まる原因の多くは「我利(がり、自分の利しか考えていない)」から来るのです。目の前の欲でしかないのです。
同じ目の前のことを考えるにしても長期的志がある人は「常に工夫の喜び、未来への喜びを感じて生活します」から、窮することなく、見た目で窮するようなことが生じたとしても「行き詰まり感はない」のです。
しかし目の前の欲に翻弄されている人は、常に「足りない、不足と不満」しかありませんので、「思考が停止して」しまい、自らの「可能性にも蓋をしてしまう」こととなるのです。
長期の志を持てばそこに向かって無理なく中期、短期の準備、学びを怠りなくするのです。長期も志もない人は準備も学ぶこともせず、結果何の根拠もない空理空論をもてあそび自らを破滅に導いてしまうのです。
ゆったりと人生を楽しく歩むためには、集中することです。集中できないのは「志の欠落」です。
集中できない故に「魔が差す、否、魔を招く」事となることを知りましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌