事があったときの気づき

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座ご出席の皆さんありがとうございました。来月もよろしくお願いいたします。7月は7日(火)七夕の日です、今以上に暑くなっているとは思いますが元気に来月もお会いいたしましょう。
天は物を生み出した時、そこに法則をもたらし、共生の世界を生み出したと孟子は「性善論」を展開しました。
人を思わない、物を大事にしない人間はいないということです。逆に言えば愛情を常としない者は存在し得ないということでもあります、人欲に犯され心が善から離れないように孟子は学びの大事を説いたのです。
明日は「にんげん学」一宮講座です、愛知地区の皆さん明晩は勉強会、明後日は第8回、心に華を咲かそう会・中部地区「チャリティゴルフコンペ」です、楽しみにでかけます、会場でお会いいたしましょう。
私たちは今日より明日、明日よりは明後日といった如く向上心を持っています。しかし向上心を持っていても向上するためにはやはり「学びが必要である」ことを知る人は多くありません、学んでいるつもりの人は多く見受けますが、真に学んでいる人は多くないように感じるのです、何故かと言いますと同じような悩みをくり返しているからです。
学ぶ人は常に工夫が出来ていきますから進化発展するのです。それがナゼできるかと言えば実践に於いて学び「気づきを多くする」からです。
「気づき」。
「船覆(ふねくつがえ)りてすなわち善く游(およ)ぐを見、馬奔(うまはし)りてすなわち良く御するを見る。」(淮南子(えなんじ))。
意は「船がひっくり返ったときに、はじめて泳ぎの達者な人間であるかどうかが分かる。馬が走り出したときに、はじめて乗りこなす術を心得ている人間であるかどうかがわかる」ということです。
馬が並足でかけているときは、馬術の心得のない者でも、背中にしがみついていることはできるかもしれませんが、だが、ちょっとしたスピードをあげれば、たちまち悲鳴を上げたり、振り落とされてしまうものです。
人生も経営もこれと同じです。時に恵まれれば、凡庸である私が経営者でも、それなりの成績をあげることができるのです。ですが、それを「自分の実力であると錯覚してはならない」のです。
実力が試されるのは、ピンチや、非常時のときです。ピンチは必ずおとずれるのです。
大きなピンチでではなかったにせよ、必ずピンチと思われるような事が今までもあったはずです、そのときに「気づきながら捨て置いた」人や、経営者がピンチに陥ってしまうこととなるのです。
出来ないことをそのままにせず、「学びのチャンスだと気づくべき」なのです。
今日の世相の中でも学びをせずに獲物を探し回るようにしている経営者を見かけます、真に自分を考えているのであれば先ず自分の実力を確かにして大きな仕事をするに「ふさわしい力を蓄えるべき」なのです。
ピンチを乗り切ってこそ、一流の経営者といえるのです。そのためには普段から学び、実力を養うことを忘れてはならないのです。
礼記には「玉磨かざれば器を成さず、人学ばざれば道を知らず」とあり、続いて「この故に、古の王者は、国を建て民に君たるには教学を先となせり」と。
国の経営は教学を最優先の課題としたのです。
何を教えたのかと言いますと、こまごまとした知識のたぐいではなく、社会人として立っていくための「基本的な教養や心構え」です。
「道を知らず」の「道」とは基本的な教養ということです。
人欲で、対処療法的な学びを学びと考えているようであっては基本が出来ないのです。故に同じ悩みをくり返すこととなることに気づくべきなのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌