支えられて

おはようございます。

今日は6月の第一日曜日ですので心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」です、午前10時からですので是非おまいりください。
「支えられて」。
「心に華を咲かそう会」本部、中部共に「チャリティゴルフコンペ」を皆様のお陰をもちまして今年も終えることができました。
本部のほうは10回目、中部は8回を数え、皆様のお陰で続けられることができております、行事を行うたびに「支えられているお陰」という思いを強くし、感謝するばかりです。
ご参加いただく皆様、またご協賛いただく皆様を拝見しておりますと「繁栄」されているのです。
私たちは有形無形の人や物に支えられています、このことを確かにしている皆様がお参り下されたりチャリティに参加下さる方が多いことを実感しております。
なぜそのように行動できるのか、行動するのかと考えて見ますと、やはり皆様それぞれが「支えらているという思いが強い」からです。
私たちは形あるものには実感として受け止めることは素直にできます。この「素直」に受け止める方は「無形の心」に感謝しているのです。
何だそんなことか、といわれるでしょうが、ではその感謝にどのように行動を以て「応えるかとなりますと」事は簡単にいかないのです。
「無形の心が有形になるという実感をもてない人、確信を持ってない人は行動にできない」のです。
行動にならない典型が「祈り」です。
祈りは「懺悔と感謝」です。懺悔とは「何か悪いことした」という「罪悪感ではありません」、そのような対処的思考ではないのです、相手があって何か気まずいことをした、相手に悪いことをしたというようなことではないのです。もちろん相手があっての時はなおさら懺悔の心があります。
懺悔と感謝は「等しいもの、同じといっても良いでしょう」なぜかといいますと、今現在私が生かされているのも、仕事ができているのも「無形の皆様のお心のお陰、お力だ、ありがたい、申し訳ない」という積極的な気持ちが「懺悔であり感謝」なのです。
積極的懺悔、積極的感謝の「気持ちの行動」が「懺悔と感謝の祈り」なのです。
無形の心に支えられているという積極的思いがチャリティという行動になり、奉仕という行動となり、祈りという行動となるのです。
このような行動を取るかたの頭には必ず繁栄はもたらされるのです。自分の実力だ、自分の力だという人は最初は輝いて見えるかもしれませんが、そのような考え方からは「慢心が生じ」結局は「人を遠ざけてしまうこととなる」のです。
私たちは「支えられて日々在る」のです。そのことを忘れないためにも「祈り」が大事となるのです。
私たちは物事はよぉ〜く知っております、ご先祖様に感謝することも祈ることも、しかし自分のことだからといって、この簡単な事柄を行動としない人は多いのです。それは自分で自分を軽んじているのに他ならないのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌