至善に止する

おはようございます。

昨日の宇治は午前中は曇りのお天気、午後からは夏の日差し、ハッキリと分かれたお天気で新しい週のスタートを切れた気持ちです。
人が大きくジャンプ出来るとすれば何がきっかけとなるかといいますと私は「継続」にあると考えています。
継続とは「日々の継続」であり、時々やるというのではありません。生涯にわたって人格を形成するベースと為す学び修練、修己(しゅうき、己を修める)の継続であります。
この継続がなければ衰え錆び付くのです。水は流れ続けなければ腐るのと同じ事です。
継続できるのは「心がゆらいでいない」人です、心ほど「曖昧で実態のないものはない」のです。だからこそ具体的に「自分の心を表現するため何を以て己を修めるかを自分のものとした者が勝利をつかめる」のです。
継続が出来ないのは何故かと申しますと、「心が外に奪われている、イニシアチブを人に握られているから」でもあります。
「評価を求めたり、人気を求めたりと」心を外に奪われ、己を修めることを忘れてせっかくの才能を磨くことを止めてしまうという愚かを犯すのです。
「心こそ 心惑わす心なれ 心にぞ 心 心 許すな」とは江戸時代の高僧、沢庵禅師の言葉です、まさに言い得ています。
自分の心だからといって自由になるなどと考えている人ほど己の心に惑わされるのです。いつからでも始められると考えている人は決して事を始めた試しはないのです。
自分の心を自分の心とするために心を「何に傾けるか」の「心の在り方」が大事です。
「至善に止する」。
この「至善(しぜん)に止する」という語は「大学」に書かれてある人生の要道指針です。「善に至る道に心を止める」という意味です。人生は自分を正しい世界へ導く「道」に「己の心を止めることが一番だ」というのです。
「繰り返し、習慣によって上達する」ことを私たちは知っています、しかし知ること以上に大事なことは「実践行動」です。知っただけでは「実力とは成らない」からです。
「下手な考え休むに似たり」という言葉もあるが如く、行動してこそ進化もあり得るのです。
真実考えているのであれば行動と為すのです。習慣と為すことが出来ない、繰り返せないということは「心を自分のものとしていない」のです。
繰り返せば上達することを知っていながらしないということは「心がそのものに確かに向いていない」ということなのです。
「継続こそ進化、習慣こそ進化」、心は曖昧だからこそ確かな道に「心を傾けなければ」継続の成らないことを知ってください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌