人に添う

おはようございます。

今日から二泊三日の研修があります。しっかりとお話をしたいと思っております。
「人には添うて見よ馬には乗って見よ」。
意は「親しくつきあってみなければ、その人の本質はわからない。何事も実際に試してみなければ本当のことがわからない。」ということです。
この語もよく聞く言葉だと思います。私たちは自身の向上を願いながらも人から何か指摘をされたり、意見を言われたりしますと素直になれない自分が出てきます。
このような気持ちが何故生まれるかといいますと、誰しも懸命にやっているからに他なりません、ですから「反発心が生じる」こととなるのです。
しかし、ここで少し考えてみましょう、私たちは「向上を願っている」のです。
人様が意見をしてくれる、ということは言葉を換えれば「アドバイス」です。本来ならば喜ぶべきものなのです。
確かに耳障りの悪い言葉には反発を感じるものです。だからといって自分のためにならないかと言えば、それはそうとばかりは言えないのです。
何故かと言いますと自分を客観的に見るということは難しいのです。故に真に自己実現を図る人の多くは「師を持つに至る」のです。
箴言(しんげん)」という語があります。箴言の箴とは「針」のことです。針は刺されば痛いことこの上なしです。しかし「針治療」をすれば逆にこの痛みは「病を治す痛み」となるのです。
指摘や意見は、嫌な思いをさせるための「イチャモン」との考えを捨てて「素直に聞き入れる」ということも大事なのです。
そこで先の「人には添うて見よ馬には乗ってみよ」なのです。
大切と考える上司や、好きな友達にでも指摘や意見を言われれば耳障りは悪いものです。
私たちは人様のお陰で存在できているということも事実です。諂いやおもねりではなく、真実自己実現を図っているとしているならば、指摘や意見を箴言として聞き入れ、人様に添う、実際に試してみるという行動も大事なのです。
人様の意見を聞き入れることが出来ないような狭い心ではどんどん心を世界を自ら狭くして行くこととなるからです。
耳障りの良い言葉ばかりを願うような人間性では誰一人友人、仲間、同士と呼べる人は出来ないことでしょう。
人に添って歩むことは実に楽しいものです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌