未来を見る

おはようございます。

6月も半分を過ごしました。時人を待たず、幼い頃の面影も遠く去り子供の頃に植えた松の木も私の背を遠の昔に抜き去り心の中にある記憶だけが幻のように、諸行無常
昨日は同級生のA君に山形空港まで送ってもらい夕方4時過ぎに宇治に帰りました。実家に帰る度に先祖を大切にそして感謝して過ごさなければという思いを深くします。
昨日、今日、明日と続いていくのが道理、過去に感謝、今日に感謝が無ければ明日の楽しい人生は築かれる道理はありません。
いずれにしましても過去の積み重ねが今日であるということは疑いを入れません。だからこそ感謝して余りあるのです。
「愚者は成事(せいじ)に闇(くら)く、智者は未萌(みほう)に見る」(戦国作)。
「成事に闇い」とはものごとが形になって現れてきても、まだそれに気づかないということです。これでは「愚者」と言われてもやむをえないかもしれません。
私たちは感謝の念を持っていませんと、素晴らしい形が目の前にあったとしても欲に惑わされ「気づけない」のです。
これに対し、「智者」とは「未萌」に見ることの出来る人だというのです。「未萌」とは、「いまだ萌(きざ)さず」で、ものごとが「形になって現れてくるまえの段階」であります。
その段階に、「あらかじめ動きを察知して」、適切な対策を講じられる人、それが「智者」なのだというのです。
私たちは「後知恵」にあることが多いわけであって、「あのとき、ああすればよかった」とか、「こう言えばよかった」とか、後で悔やむ事の何と多いことでしょう。
「未萌に見る」のと「後知恵」とでは、大きな違いです。
「未萌」に見ることができればできるほど、厳しい現実を生きるのに有利であることは言うまでもないでしょう。
そのためにも「学ぶ」、温故知新が大事です。後知恵でも現実に感謝して未来の為に対策を講じるようにくり返すことでいずれ「未萌」ができ、察知できる人間性を養うことが可能となるのです。
日々嘆く人生を過ごすのではなく未来に夢を見て確かな学びをくり返し今週も明るく過ごしましょう。
今夜は「にんげん学」京都講座、古典を学び、温故知新、未来を楽しく確かにしていく自身でありたいものです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌