都合のよいことはない

おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございました。学ぶことをしている人はやはり輝いています。それは「孟子」の性善論の中にあるように私たちには「良能、良知の存在を知って」努々人を疑わず、自身を疑わず学び続けるからです。
来月7月は13日(月)、梅雨と暑さと自然の厳しさを味わって為すべき事を忘れず来月も元気にお会いいたしましょう。
「都合の良いことはない」。
いいことないかなぁ〜と仕事を探し回る人を多く見かけます。しかし少し考えれば皆さんよく分かっているのだと思われますが、世間に自分に都合の良いような仕事は転がっているわけではありません。
昨日の「未萌に見る」話ではありませんが、何で困っているのかは皆さん十二分に分かっているはずです、それは「仕事を作らず困っている」のです。
「積善の家には必ず余慶(よけい)あり」(易経(えききょう))。
「積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃(よおう)あり」と続いています。
意は「善行を積み重ねた家には、子々孫々に至るまで、必ず幸いがおとずれる。不善を積み重ねた家には、子々孫々に至るまで、必ず禍(わざわい)がふりかかる」ということです。
よい行いをしていればよい報いがある。悪い行いをしていれば悪い報いがある。だから、よい報いを期待しようとするなら、ふだんの行いをつつしまなければならない。また、悪に向かっていることに気づいたら、早めに軌道修正しなければならないのだというのです。
典型的な「因果応報論」です。
積善とはなんでしょう、もちろん「人のため」です。人のためとは何でしょう、もちろん「社会のため」です。
社会とはいつも申しますように「目の前の事」です。言葉で社会といえば大きいようですが、今現在自身が由って立っている「場・空間・人(会社・社会)」であります。
「目の前の人のお役に立つこと」が積善です。
社会の役に立とうとも考えず、自分のことしか考えないようでは、不善そのものなのです。それは苦しみを明日に作っているようなものです。
目の前の人のために考えることが結果社会の多くの人のためになり、結果皆さんが望んでいる「仕事の発想となり、繁栄が」がもたらされるのです。
目の前の人に尽くす、目の前の人に喜んでいただく工夫を重ねましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌