どこまでも尊敬

おはようございます。

今朝は素晴らしいお天気の朝です。蒸し暑い昨日の夕方4時頃今夏初めての強い夕立、凄まじい稲光と雷の音でびっくり、しばらくしますとバラバラという又更に大きな音がしたと思ったら「雹」、直径一センチを超す氷の固まり、作物が心配です、思わず手を合わせ祈りました。
強い雨の音と稲妻の音を聞いてしばらく呆然と外を眺めておりました、余り凄まじいと心を奪われて外から目を離すことが出来なくなっている自分がいました。
そんな中ふと思いました。「人は人を求めている」、ということです。人生、人との出会いが最大の喜びでもあるからです。
一人でいいのです。たった一人の人と肝胆相照らす中であれば世界中が敵に回ってもくじけることはないのです。もっとも敵に回すような処世ではよろしくありません。
気持ちが合って一致協力し物事が実現することほど喜びが大であることは言うまでもないでしょう。
しかしやはり「過ぎたるは及ばざるがごとし」となってはせっかくの仲もヒビが入ってしまいかねません。
人が人を求めることは自然でありますし、無意識の意識であります。
そこにはやはり「礼儀、在り方が求められ」ます。
「朋友に処するに、務めて相下(あいくだ)れば則ち益を得、相上(あいしのげ)ば則ち損ず」(伝習録王陽明の語録))。
意は「これは友人とのつき合いに関するアドバイスです。「相下る」とは、謙虚な態度でつき合うことです。そういったつき合い方をすれば、プラスになるのだと王陽明はいうのです。
「相上ぐ」とは、相手を見下すこと、そんなつき合い方では、マイナスばかり多くなるというのです。」。
孟子は「年長であるとか、会社が大きいとか、身分が高いとか、身内にえらい人がいるとか、そんなことは鼻にかけないで交際することだ、要は、相手のもっている徳を友とすることである」と。
孔子は同時代の晏嬰(あんえい・斉の名宰相)の交際ぶりを賞賛しています。「晏嬰の交際ぶりは見上げたものだ。どんな相手と親しくなっても、相手に対する敬意を忘れなかった」と評しています。
尊敬を失い我欲を以てして、慢心に冒されますと人を失うこととなるのです。人はつきあいを長くすればするほど尊敬を厚くすべきなのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌