思いに徹底

おはようございます。

昨日はさわやかな一日そして静かな一日でもありました。一昨日の雷でテレビが壊れたせいもあるのかもしれません、私は何かに夢中になりますと「溺れる癖がある」のです、テレビが好きなのです。
欠点でもあり、長所でもあると考えています。皆さんも何かに夢中になっているというものはお持ちでしょう、きっと。
このように自分のことで夢中になる、夢中になれることは良いことだと考えております。
王陽明という偉人も「溺れる人」であったそうです。溺れると云うことは表現を変えれば「徹底する・継続する」ことですから、故に後世に残る様々な語録や、業績を残したのでしょう。
彼の心象は非常に強く激しいものであったそうです、強く激しいという心象は、人様に対してではなく、自分自身に対してであります。
人様に対するのは怒りであって、自身を高めるものではなく、損なうものですから、このような激しさはいただけません。
私たちは少なからず情熱を持っております、熱い情熱です、しかしこの情熱を持続できるかと云えばなかなか少ないのではないでしょうか、せっかく持っている情熱を失う、途中で冷ますと云うことは誠にもったい事です。
「一摑一掌血(いっかついっしょうけつ)、一棒一条痕(いちぼういちじょうこん)」(王陽明)。
意は「一度摑んだら、その物に血の手形がつくくらい摑め、一本ぴしりと打ち込んだら、一生傷痕が残るほど打ち込め」という気迫をいっているのです。王陽明の心象、気象、人生に対する覚悟はこのようであったそうです。
情熱、夢中になるということは自身の人生に対する真剣味の度合いでありますから、この言葉は非常に私には勇気を得る言葉です。
このくらいに気迫、情熱を持って事に対すれば事が成らないなどと云う言い訳などはしないのであります。徹底するのが人生なのです。
今京都と大阪は「孟子講義」ですが、先日学びました孟子の中に「良能・良知」、教えられずとも出来てしまう能力を指して良能といい、教えてもらわずとも知り得るのが良知、私たちにはこの良能・良知が先天的に具わっているのです。
故に夢中になり「これだ」と思ったことを徹底すれば自ずと進化発展しない道理はないのです。せっかくの良能、良知を捨てるような愚かをしてはならないのです。
自身で決めた一つのことを徹底してこそ人生の確立があるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌