感情と理性

おはようございます。

私は食べることが大好きです、もちろん般若湯も、これらは感覚を満たしてくれるもの、実感させてくれるものだからです。
好きだからといっても、あそこにこんな美味しいものが、こちらにこんな美味しいものがといって出かけてまで食べるというのではなく、ただ単に食べることが好きだというだけの話です。
「感覚」。
だからではありませんが感覚が喜ぶ、感覚が楽しいということに少々用心はしています。先日の学びに夢中になる「溺れ」はいいのですが、ただ単に感覚の喜びに溺れると大変なことになるからです。
逆に感覚的に嫌なことは誰しも嫌なものです、しかしこれもよくよく考えないと「ただ避けてばかりの人生と為す恐れがあり」ますから用心しなければなりません。
人生この感覚の世界はとても重要なポイントを握っているのです。「感覚は本能」ですから「無意識に好きになったり嫌いになったりと瞬時に判別してしまう」からです。
物の道理の善し悪しではなく、ただ単に感覚的な判別です。
この感覚の判別に気づくべきなのです。人間好き嫌いがあるのは当然です、好き嫌いが悪いのではありません、好き嫌いによって「心が曇ることを戒めなければならない・判断を誤ることがいけない」のです。
好きな人が正しいのか、それは?ですし、嫌いな人が悪い人なのか、それも?なのです。それは単なる自分の感覚、感情であって、論理的に何の根拠もないのです。
しかしこの感覚はとても大事であることは間違いがありません、なぜかといいますと、
出会いは先ず「感覚」だからです。
私たちは沢山の人に好かれたい、人からは嫌われたくないというのが本音です。
人様の感情はどうすることもできませんから、問題は自身が人様に対するとき「どんな感情で接するか」が大事です。
感覚と同じように私たちには理性という本能があります。これも大事にしなければなりません、理性は客観的指標です、理性的思考は万人に生かされるということです。
ということは理性を大事にすれば「万人に生かされる」ということです。
感情は私的感情で、理性は公的なもの、と捉えるべきなのです。
感覚と理性では感覚、感情の方が強いことは皆さんよくご存知のことです。
だからこそ学び、強い感情の本、愛情を豊かにして客観的理性で多くの人に貢献することが可能となるのです。
感覚と理性を両輪として偏らない在り方をすれば社会貢献を多くし、繁栄は間違いのないものとなるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌