道中が大事

おはようございます。

私的な話が数日続いて申し訳ないのですが、今日もご辛抱ください。昨夜は師匠の誕生会で弟子達が集まりお祝いをさせていただきました。
昨朝ブログを書き終えて師のお顔を拝見したくなり昨晩のことがありましたので朝早くからご迷惑を顧みず比叡山の麓まで出かけてまいりました。
特別なお話や相談があるわけではないのですが、お顔を拝見しお言葉をお聞きするだけで安心するのです。何も求めませんが、言葉をいただけば方向が見えてくるのが今でも喜びです。
師匠がいると考えるだけで「思い上がり、勘違いをせずに済んでいる」のが一番です。修業をしておりますとき「正し、忠告して」下されたからです。
もちろんしょっちゅう正し忠告してくださるわけではなく、いよいよというときなのですが、そのことが身についており、独り立ちしてからも「師匠なら、どう考えるか、行動するか」という無意識が働くのです。
兄弟弟子を見ておりますと独り立ちしますと途端に師匠からの「意見、忠告を聞かなくなる」弟子もあります。そうなりますとどんどんと違った世界に行くのが分かるのです。
「道中が大事」。
法則や教えを知識とし技術も習得することが可能です。その上で実人生の中で目標を目指していきます。
目標全体を見て完成を目指し「部分から段階的に物事を始める」のが道理です。
段階的に始めますからその時は全体が見えなくなるのが現実です。それを正してくださるのが修業時の師匠なのです。そうすることで物事の完成を見、「一段階ずつ階段を昇ることができる」のです。
知識を得、技術を習得することが出来、独立し一人で物事を為さなければならないようになったとき、全体を見て目標を決めたとしても段階的、部分から物事を進めるということを肝に銘じておく必要があるのです。
このことを忘れてしまい法に則ることなく事を進めますと結果が違ったものとなるのです。
要所要所で「師匠ならどうするだろう、どのように運ぶだろう」という思いを致しこれまでやってきました。
人生の道中には苦楽共に存在します、苦に引っかかり、楽に引っかかり、己を見失うようなことがないようにするためにも「道中」の用心が大事なのです。
「初心忘るべからず」、独り立ちしたり、少しの成功をおさめたり、人から少しばかり認められたり、管理職になったりしたときにこそ「油断大敵」なのです。
「知るは知らず」とならないように、人間の愚かさは合格点をもらって師の教えを聞かなくなるという愚かさの在ることを知ることも大事なのだと、昨夜は師の隣で般若湯をいただきながら考えるところでした。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌