不思善、不思悪

おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございました。帰る時間にもコンチキチンが流れていました。孟子の教育論、非常に考えさせられるものがあります。
人材を育成する上に於いても非常に大切な考え方です。自身の学びの姿勢にも考えを新たにする学びでした。8月は10日(月)です、暑さも一段と厳しい中ですが、お盆前に勉強して盆休みに入りましょう。
我々の行動は風、良い風を吹かせ後輩の皆さんの花を咲かせるお手伝いをしましょう。
皆さんは「この道を歩もう」という道をお持ちでしょう。その上で現在の仕事に携わっておられることと思います。
「善悪を思わず」。
私はご存知のように「仏道」を歩んでいます、お商売の方は「商道」です。いずれにしましても「人様のお役に立つことが道」であり、その道を歩み続けることが人生の要道です。
ここでいうところの善悪とは「褒められたい、そしられたくない」という気持ちをいっております。道を歩もうとしていながら挫折したり、悩んだりする原因はこの二つにあるからです。
この道で歩もうと決めたのですから、褒められようが、そしられようが歩むことです。そこで「善悪を思わず」です。
褒められたい、そしられたくないという両極に心を奪われますと、道の工夫、知識を深める、技術を磨くという気持ちを損なってしまうのです。
なぜならば、褒められたらやって、そしられたらやめるでは「歩んでいない」のです。そのようなことを「道を歩む」とはいわないのです。
先人を見れば直ぐ分かることですが、道を歩むことで喜びがあり、悲しみもあるのです。それらは道を歩んでいるから得られることであって、人生の道中の景色、風情でもあるのです。だからこそ仲間も出来、同士も集まり、共鳴者も出てくるのです。このことをくり返すのも人生の道なのです。
道とは「誰しもが歩めるのが道、一緒に歩むのが道」です。
自分が褒められたい、そしられたくない、というような道はあり得ず、道とは言えないのです。このような思いで仕事をしていますと、孤独になるのです。
誰も理解できず、誰もサポート出来ようもないのです、なぜならば道ではないからです。道ではありませんから助言もして上げられず、サポートもしてあげられないのです。
誰しも歩むことができるのが道だからこそ、失敗した人を見ても「笑わず」、成功した人を見ても「ねたまず」その人を「範として」歩み出す人が出てくるのです。
褒められたい、そしられたくないという二元的な思考を捨てて歩むことが人生の道を確立し足跡ともなり、後継者も育つこととなるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌