利口になるより

おはようございます。

連日30度を超え蝉が鳴き出しました、何か蝉の声までが「あつ〜あつ〜」と聞こえてきます、夏遅く鳴く蝉の声ははかなく聞こえてしまうのですが、環境で聞こえる音までが変わってしまう自身の気持ちのおかしさに一人笑っております。
これからしますとやはり平常心を保つことが大事なようです、しかしこの平常心というのがなかなかくせ者で素直になってくれません。
平常心かと思っているとただ単にぼぉ〜っとしているというような案配です。
「利口になるより大馬鹿になってみよう」。
何かにこだわっているから環境が意に添わないと心が乱れるのかもしれません。論語「公冶長(こうやちょう)」第5に「其の知には及ぶ可し。其の愚には及ぶ可からざるなり」、とあります。
前後の文は長くなりますので省いておりますが、
意は「物事を知ることはできる、我を捨ててこそ知るということであり、真の知とは知っていて知らないが如くあることだよ」ということです。
私たちは道理を知りながら我を以てそれを用いようとしますので、その知にこだわり結局は人と争ったり、言葉に引っかかったりするのです。それではせっかくの知恵もただ単に我を張るためのものとなるだけなのです。
少しくらいの知識を得て利口になったつもりになるのではなく、愚かになることも大事なのです。愚かになることは知ることなどでは到底及ばないことでもあるのです。
知識を得て構えすぎて人様が取っつきにくいような人柄と見なされるのはよろしくありません。世間には「知ったかぶりをする人は結構いるものです」。そして嫌われている、その原因が自分にあることを気づかずにです。
それよりも知って少し馬鹿になることも世界を広げるためには大事なのです。
知れば本当は心にゆとりが出来るもので、知って心を狭くしている人を多く見かけますと悲しくもなります。少し馬鹿になることも大事では?。
今夜は「にんげん学」一宮講座、中部地区の皆さん心豊かになる学びをしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌