一を見る

おはようございます。

昨日朝8時富士登山の皆さんを見送ってしばらくすると強い雨が降り出しました、雨が上がってくれることを願う一日、今朝のお山はどうでしょうか、午後3時に電話が入りこれから全員で登りますと、今頃は順調に行けば頂上に立ち天気が良ければご来光を拝む時間帯、無事を祈るばかりです。
人生体験することほど勉強になることはありません、体験実践無くして何事も成功はないからです。
「一を見る」。
夢を途中で投げ出すとすれば「情を見る」からです。情を見るとは「自分を理解して欲しい、賛同して欲しい」ということです。
情をこのように感じてはいけません、いけないというよりも「情はかけてやる」ことが情であって、「欲しがってはいけない」のです。
一というのは「夢一点を見つめる」ということです。
「一を見る者は法を見る、二を見る者は情を見る」という語があります。
二を見るということは「成功するかな、失敗したらどうしようかな」と成功、失敗の二つの結果に心が揺れていることをいいます。
人生の道中で様々な体験をするのが私たちです。そこで失敗をしたり、思いがけない問題が起きたりしたときに、「法を見る」ことが大事で「理に照らして検証する」ことです。
法を見ずに情を観てしまいますと、人を疑い、自分をも疑うようになるからです。それではせっかくの体験が生きては来ないのです。
法を見て夢に向かいますと「修正が出来」必ず目標に近づいていくのです。
情は「人様に向け、そして自分に向ける情熱にしなければなりません」。他を頼む「情にしてはならない」のです。
論理は「人の役に立つのが論理」であり、「我欲を達成するためには出来ていない」のです。知識も技術も人様のために用いてこそ「人様の情があなたに向く」のです。
「法、論理はすべて人様の役に立てるため」にできているということを知らなければなりません。
このことを知らずして何で評価してくれない、何で自分を見てくれないと自分のためと考え違いをして落ち込むようであってはならないのです。
昨日は登山の無事を祈っておりますと、近所のIさんが留守をしている私を心配くださってお昼の差し入れを持って来てくださいました、情を感じる幸せな一日でもありました。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌