愛されている

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席ありがとうございました。昨日はお日様も顔を出し久しぶりの穏やかなお天気でした、来月も又お会いいたしましょう楽しみにしております。来月は8月26日(水)、厳しい残暑の時とは思いますが、それまでお大事にお過ごしください。
「誰かが」。
心は何とでもなると考えるからこそ何ともならない状況を生み出す危険があります、道に沿って歩み学ぶことを忘れない者が人生の勝利をつかむのです、このことをお忘れ無きよう。
昨日も沢山の方が小倉講座にご出席くださいました。本当にありがたいことです。そしてあらためて「思ってくださる方がある、愛してくださる方がある」ことに感謝しております。
「孤独感を持っている方」また「一人で悩んでおられる方」また「理解者がいないと悲しんでおられる方」等々の方がご相談に来られます。
そんなときには必ずこのようにお話しします。「誰かが心配していますよ、思ってくださっておりますよ、愛して下されておりますよ」と。
今から書くようなことを見てもらいますと私が強い人間のように思われますが決して私は強い人間ではありません(自分でいうのも何ですが)、
どのようなことかといいますと、
「人は人のことを思っては上げられるが、代わってはあげられない」ということです。
「親知らず、子知らず」という人生には難所があります。愛するわが子のために子が悩んでいれば親は代わることで子供の苦しみを解放してあげたいと思うのですが「代わってあげられない」ということです。
子も同じで、愛する親の難儀を子が代わってあげたいというのが「人情」です。
しかし「代わってはあげられないのが人生」。
自分の人生は「自分で乗り越えるしかない」。
誰もが「理解してくれないのではなく」、代わってあげられないのです。「理解はしているのです」、しかし代わってやれない、愛情が深ければ深いほど、悩むこととなるのです。
ではどうすることでこのような思いから開放されるのかといいますと、それは「心配してくれてる人がいる、愛してくれる人がいる」という「思いを確かに持つこと」です。
実際にこの世は苦しいことは多くあります、しかしその事で身近で大事な人までも理解してくれないとは考えないことです。
「代わってあげられないのです」。
出来ることならば代わってあげたいと思っていてもどうすることも出来ないのです。
このことを知って悲観せずに歩むことです。「誰かが愛してくれている」、「誰かが思ってくれている」ということをです。
その思いをすることで「共感者、共鳴者が多くなる」のです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌