貪らない

おはようございます。

本当に最近の雨は恐いですね、それと雷も、昨日も凄い雨と風と雷に驚きました。近くのゴルフ場ではネットを支えているコンクリート柱が折れるという突風が、天が静まるのを祈るしかありません。
今日は第一日曜日ですので心華寺の「月並み祭」です、皆さんがお出かけの時間と帰りには良いお天気であって欲しいと願っております。
今日は心華寺で祈願祭並びにお盆の「施餓鬼会」を行います。
「貪らない」。
何でも欲しい欲しいと貪る心には安心が生まれません。安心が生まれないということは安定した人生は無いということです。
貪りの心が一番私たちの「心を毒する」ものです。
貪る心には「努力という心」、「精進するという気持ちがない」のです。「直ぐ欲しい」、この心を「餓鬼」というのです。
この餓鬼道に陥らないための「日課とする徳目が先祖供養」です。
欲しいと願う心が悪いのではなく、貪ることが善くないのです。貪らず欲しいと願う心には何が生じるかといいますと「努力して得る喜び、道理を歩めば叶うという思いの喜び」が生まれるのです。
道理に目覚め努力すれば得られるという喜びの真理に目覚めますと貪らず逆に「施、ほどこし」を進んで行うようになります。何故でしょう、「努力すれば得られるという喜びがある」からです。
惜しむ心が無くなり、共に喜ぶ心が増し、この心は仕事の繁栄の原点です。
努力して、行動して得た喜びは「何物にも代えることが出来ない喜び」です。
貪りの行動で得た物は感謝がありません、故に塩水を飲んで一層渇きを覚えるような状態となり貪りに貪りを重ねるようになるのです。
家庭の中でご先祖様のお陰ですよ、仏様のお陰ですよと、言葉を発することのないご先祖様や仏様にお供えをして奉仕の行動を日々行い、またお盆やお彼岸の特別なときに率先して供養を行うようにすれば、貪るような心ではなく、布施の喜びに目覚め「行動から得られる感動を身体を以て味わう」のです。
身近なご先祖様、身近な御仏にお仕えできないようであっては、外の世界で人様にお仕えすることなど到底出来ないのです。
そのような心では貪る心を自ら育てていくような生活をしているのです。
何で得られないの、何で良い結果が出ないのと、貪る心を増長しているのです。
それは何も言わないご先祖様への奉仕の喜びを体感していないということもあるのです。
貪らず、欲しいと願ったら正しく努力できる自分を見失わないように、日々祈りましょう。そのことで多くの人に自然サポート出来る自分が完成するのです。
今日は10時から皆さんと共にお勤めをします、お待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌