どんな人生を

おはようございます。

今日は愛宕寺「盆・施餓鬼会法要」です。午前10時からですお参りください。
私たちは先ず自分自身が大事です。その大事な自身がこの世に存在できるのは当然ご先祖様があってのことです。
「どんな人生が望みですか」。
心は豊かでなければいけません。豊かであるということはどういう事かと申しますと、周囲の人に優しくある、ということです。
仕えるといっても良いかもしれません。人の心は鏡のようなものです、こちらが笑顔であれば、相手も笑顔で返してくれる。怒り顔であれば怒る、という具合です。
ですからこちらの態度で周囲の人の対応が違ってくるということです。この理がわかれば、「どのようにあることが」人生を豊かにするのかが理解できるはずです。
身近な人に仕え、そしてその円周を次第に大きくしていく、そうすることで自然繁栄の輪が大きくなるのです。
そんな簡単なことでという声が聞こえてきそうですが、この簡単なことが以外と出来ないのが私たちでもあるのです。人間は親しくなればなるほど「礼儀を失う」のが常だからです。
甘えが出るのです。わかってくれるだろう、やってくれるだろうという甘えから来る勝手な思いこみです。
人生は行動が基本です、思いを行動してこそ「生き様として志として」人様が感じてくれるのです。行動もしないで思いだけでは伝わりようもないのです。
「話だけ言葉だけで」行動がなければ「生き様とはいわず志とも言えない」のです。
先祖を大切に、親を大事になどということは誰でも知っていることです。ですが仏壇に手を合わせない、お供え物一つしないということではお話にならず、一事が万事で、身近なご先祖様を大切に率先して行動できないようであっては何をか況やでしょう。
この世は鏡、私たちの行動が反映されて戻ってくることを確かに知るべきです。皆さんは「どのような人生を望んでいますか?」いかがでしょう。
私は楽しい人生を望んでいます。
尽くしても終わりのないのが先祖供養です。この大切なことに力を尽くすことが出来なければ世間で多くの人に尽くすなどということは難しいことを知りましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌