過って後改める

おはようございます。

残暑厳しい昨日の午後3時過ぎに子供達は元気に下山していきました。初体験に子供の順応性は驚くものがあります。この凄い順応性をいつの頃から失うのでしょうか、失いたくないものです。
子供達は三日間辛抱してくれたことでしょう。それが将来の何かを行うときの「心棒」になってくれればと祈るばかりです。
辛抱しなくとも良い人生はありません、何かを成し遂げようとすれば時間を要します「正しい考え方を」して欲しいと願ってやみません。やっても同じだというように自棄になるような人生を送って欲しくはないのです。
非日常的な「無用の用」である寺での幼児体験が必ずや将来生きてくると信じます、大人でも体験ほど役に立つものはないのです。国の宝である皆さん夢が見つかったら辛抱出来るようであって欲しいと祈っています、三日間ありがとうございました。
家に帰ってご両親に「ありがとうございました」を言ってくれましたか、きっと言ってくれたことでしょう。
「過って後に改める」。
子供達の辛抱もさることながら私たち自身も辛抱は大事です。私たちは道理を知ったとしても体現しなければいけません。道中においては様々な試練が待ち受けているからです。
そのときが人生の最も大事な「修養」でもあるのです。
この修養であるということを知らずば辛抱も何もあったものではないのです。知ったくらいで簡単にできるのであれば苦労はないのです、またこれまで以上の発想もないのです。
道理を知るということは「過てば改める」ということだからです。過って改める心が「辛抱」でもあり「修養でもある」のです。改めることで忍耐も修養も叶い「人間性も豊かになっていく」のです。
ですから困難試練に遭遇して改める気持ち、「行動がないのであれば未来の発展も進化も自ら閉ざしている」のです。
道理を知るとはこのようなことでもあるのです。日常の問題が修養であり進化のポイント、要道であるのです。
明日は「にんげん学」京都講座、残暑が厳しいですが一緒に学びましょう、会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌