善人

おはようございます。

「にんげん学」一宮講座ご出席ありがとうございました。朝夕は幾分涼しくなりましたが日中はまだまだ残暑が厳しいですのでお大事にお過ごしください、又来月お会いいたしましょう。
昨日の勉強会の中で孔子の弟子が「善人とは」という質問をした条がありました。なかなか意味深な問答でありなるほどとうなずけるものでありました。
「善人とは」。
論語先進篇第十一、第二十一条に「子張(しちょう)、善人(ぜんにん)の道(みち)を問(と)う。子曰く、迹(あと)を践(ふ)まず。亦(ま)た室(しつ)に入(い)らず。」
意は「子張が、善人という種類の人間が世に処していく姿はいかがなものでありましょうか、と質問した。これに対して孔子は、聖人にはおのずから出来上がっている一つの規矩準縄(きくじゅんじょう)の迹(あと)があるが、善人には必ずしもその迹を学んで実行するということをしない。又聖人には凡人の窺い知り得ぬ深い堂奥(どうおう)があるが、善人は必ずしもその深い堂奥にも入っておらない。その程度が善人の姿である、と答えた。」。
要するに善人は、いちいち固苦しく道を実践しようとも考えておらぬし、又至極の奥義を深めるほどの深さにも至ってはおらないが、ただ自然に悪いことをしない、それが善人の姿であるというのであります。
迹とは、先哲によって示された、人としてふむべき道筋で、善人は必ずしもその旧い迹にしたがってこれを守ることをせず、自分の意のままに行動するから、迹をも践まずといっているのです。室は、家屋における奥まった所ですが、至極の奥義に喩えたものでもあります。
仕事が出来ながら今一歩抜け出せないという人がおりますが、この善人とはという問答を見て何かを感じてください。
ただ言われたことをして仕事が出来たとしても一歩上に行けない、リーダーシップがとれない等々の悩みを持っている人は、法則の凄さ、先人の教えに従う凄さを尊敬し極めようとする意識が少ないのかもしれません。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌