長を敬し友に親しむ

おはようございます。

連休で駅も新幹線もいっぱい、家族連れや友達連れいろいろな人たちが楽しげです。小さな子供を連れた家族を見ると何かしら懐かしい思いに駆られます。
子供達の幸せそうな顔、親子の会話につい聞き耳を立ててしまい、こちらまで家族になったような気分、いいものです。
家族を連れて旅をする事の少ない私が少し反省するときでもあります。
昨日は「敬老の日」でしたが常に年長者を大切にすべきであります、年代は連なるもの、何事も年代の継続がスムーズであれば成長も進化も繁栄もうまくいくのです。
「長を敬す」。
「にんげん学」講座を始めましたとき最初に講義をしたのが朱子の「小学」です。なぜ「小学」から始めたかともうしますと、人間としての基本、大本の「学」と考えたからです。
根本、根本がずれて傾いておったのでは時間が経てば「倒れるのが相場」だからです。人生の要は「基本」です。基本があって「応用」、応用はある意味では枝葉末節であります。
子供の時いかにこの基本の学を身体に「染みこませるかが一生の方向」となりますし、大人になればなるほど基本、土台が大事なことは言うまでもないでしょう。
「小学」の序文に「古は小学、人を教うるに、洒掃(さいそう)・応対・進退の節、親を愛し長を敬し師を尊び友に親しむの道を以てす。皆、修身・斉家(せいか・家を安定にする)・治国・平天下の本たる所以にして云々・・・」とあります。
要は「人間を育てるには先ず洒掃、掃除、整理整頓を教える、それに人様に対して応対、進退というような「作法、マナー」、こういう根本が出来て初めて、修身・斉家・治国・平天下といった事にだんだん発展することができる。」ということです。
その基本が「親を愛すること」、「長を敬すること」、「先生を尊ぶ」、そして「友を大事にすること」が日常の徳目だというのです。
このことは生涯にわたっての要道です。家が不安定、手をさしのべてくれる先人がいない、切磋琢磨し、手を取り合う仲間がいない等々の悩みがあるとするならば、先の日常の徳目を疎かにしてきたからに他ならないのです。
明日は心華寺「彼岸会法要」、午前10時からです、ご先祖様に篤く供養をいたしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌