才に溺れず、己を運ぶ

おはようございます。

昨日は秋晴れの良いお天気でした。部屋の中では肌寒さを感じ、お護摩の炎も美しく祈りが正に天に通じるようでした。今朝もほどよい気温、美しい炎が燃え上がることでしょう。
年を経る毎に祈りの重要性、ありがたさ、ご利益を実感しています。何事も「運・鈍・根」とはよく言ったものだと感心もしています。
「己を運ぶ」。
人生は自分の足で運んでいくことが出来ます、そのことが大きな喜びです。夢を失うことがありません、自分の人生を放棄してしまうことほど愚かなことはないでありましょう、歩を進めれば必ず到達するのですから。
人生は評価を得ずとも「自身を自身で否定してはならない」のです。
孔子は人生を共にするならば「鈍なる者、臆病な者と一緒に」と言っております。直ぐ何でも出来るような人間は才に溺れてしまい、少しの困難に出遭えば途中で投げ出してしまうからだというのです。
私たちには「才徳が具わっています」、才と徳とどちらが土台かと言いますと「徳」です。徳の一部分が「才」です。
商才がある、野球の才がある、書の才がある、ゴルフの才があると感じるのが「徳で感じる」のです。
その才を確かに「伸ばし育てて」いくには「運・鈍・根」が大事なのです。才を伸ばし人生を確立しようと運んでいくことを決めたら、生涯をかけてゆっくりと(鈍)、そして続ける(根気よく)です。
「大木となそうとすれば継続」です。目先の上手下手では大きく育たないのです。目先に囚われるということが「才に溺れている」のです、「出来るはずなのに、やれるはずなのに」と、才に溺れる人は己を怨み、人を怨んで「己を運ぶことをしなくなり、運を無くす」事をしてしまうのです。
徳の大事を知り、才を伸ばし育てるには「ゆっくりと根気よく生涯続ける」ことです。続ければ次第に土台が広くなりその上に「才能の木が大きく育つ」こととなるのです。土台を広く大きくするには毎日の継続が大事なのです。
己を運ぶ喜びの人生を歩んでまいりましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌