夢を追い求める

おはようございます。

弟子・誠澄は現在五穀断ちの修業中、二ヶ月を過ぎようとしており、顔つきが尋常ではなくなり、私が言うのも何ですが、いい顔です。
11月1日より「懺悔練行」33キロ、21日間の行も始まります。
修業を何故行うかといいますと、第一義は「上求菩提(じょうぐぼだい)、下化衆生(げけしゅじょう)」。「覚りを求め、衆生を導く」、先ずこの意識がなければいけません。
そして「自己確立」、自分の人生を「これだ」と直感した修業形態、修行法で「命を立てる」、「自身の在るべき場を作る」ことです。
「夢を追い求める」。
表現を変えて言えば「夢を追い求める」といってもいいでしょう。これが自分の「天命だ」と利害、損得を考えずに歩むことほど楽しい人生を送れることはないのです。
「無欲」となるからです。
勝ったり負けたり、損得からはいつまで経っても安心の心境は得られないのです。
自分の命がこれであると他と比較するのではなく、独り善がりに陥ることもなく、ひたすら「理想を追い求める、進化を追い続ける」ことほど楽しく充実することはないのです。
夜半12時に起床して一時間半の読経、終えて33キロの懺悔練行、日中も普段通りのお勤めと生活、睡眠時間は数時間と、肉体的には非常にハードなものです。
しかしこのハードな修業が立命となることを想えば嬉しさが溢れてくるのです。
比較の世界で人生の安楽を願ったとしても決して安楽の世界、心境は実現しません、なぜならば外の世界に心が騒ぎ不安定だからです。
夢を追い求めていれば、どのような状況の中においても夢が開かれるのです。満行したときに味わう法味、醍醐味は魂の中から湧いてくる歓喜です。
自分の魂の中から苦しさと喜びを感得し、日常の中で生じる様々な問題等があったとしても、そこに又新たに「立命を感じ」何事にでも夢を見失うことがなく、己を見失うことがなくなるのです。
皆さんも「これだ」とおもうことを人様と比較することなく、利害、損得を超えて「命を立てる」ことに目覚めてください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌