非礼を視ず、聴かず

おはようございます。

「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございました。昨日は寒さが少しゆるみましたが先月と違ってずいぶんと暗くなるのが早くなりました。来月は本年最後となります、終わりよければすべてよしとするためにも一年の締めくくり是非ご出席ください。
課外授業も楽しくしました、YさんKさんありがとうございました。Wさんは「にんげん学」一宮講座へもご一緒いただきました感謝いたします。
「非礼を視ず、聴かず」。
昨日の講座では「克己復礼(こっきふくれい)」という話でした。己に克って礼に復(かえ)れば「仁」を為すことが出来、家を会社を社会を平和に治めることができるということです。
視・聴・言・動の四つの中、言うこと、行動することは己の意志で行う事が可能ですが、視る、聴くは相手の発することですので言動よりはコントロールすることが難しいことです。
視るという意味は己の意志で視るということ、聴くということもこれまた同じであり、「見る、聞くということは意志のない状態」、視る聴くは己の意志であるということです。
そこで孔子は非礼、礼の無い言葉や行動は視ない、聴かないようにして己の為すべき事を為すことで己に克ち礼に叶うことであると教えたのです。
又これを日常の徳目とすれば仁に叶うと教え己を養うのに最も大事だと教えたのです。
どうしても私たちは耳障りの悪い言葉、嫌な行動に心を奪われてしまい、相手の長所を見落としてしまいがちになります、それではいけない、よろしくないということで、非礼を視ず、非礼を聴かずと示したのです。
己を修め人を治めるためには克己復礼が大事なのです。上に在るようになればなるほどこのことを心して行うべき徳目でしょう。
「どうあるべきかを持たない者は」あっという間に非礼な人間と化すのです。いわゆる理由もなく威張り信頼を失うからです。
どうあるべきかを確かにしてこそリーダーでありましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌