狎れない

おはようございます。

冬らしい気温になってきました。寒すぎるのはいけませんが、空気がひんやりしているのは嫌いではありません、自然に気合いが入るからです。自然の力とはありがたいものです。
人は滅多に人様の前ではだらしないことをしません、やはり人の眼を気にするからです、これも自然です。
先日も「独を慎む」ことの大事を書きました、「天網恢々疎にして漏らさず」を知ればいつでも自然と「だらしないことはしなく」なるのです。
「緊張感が人をしっかりとさせる」のです。
「狎れない」。
別れは出会う故に生じるもの、自然の別れは仕方がありませんが、「ケンカ別れ」はいけません、これほど愚かな別れはないのです。
私のあり方の一つに「自分から縁を切らない」という思いがあります。人様から縁を切られることは仕方のないことですが、「自らは切らない」という在り方です。
そのためにも「礼儀」を大切にしています。
挨拶をする、ということは人として当然な行為でもあります。挨拶は出会った方を「尊敬して、自ら心を開き言葉を交わし接すこと」です。
この行為に大切なことがあります。「見返りを願わないという意識」です。挨拶をしたから「挨拶を返してもらうとは考えない」ことです。
挨拶を返してもらいたいという意識はもう挨拶ではなく「打算だから」です。こういう意識からは「永いお付き合いは得られない」のです。
「自分の都合で出会わないということ」でもあります。そしてお付き合いが始まったら「理解してくれるものという勝手な思いこみもしない」という意識を大切にしています。
話をしてくださるから「理解をしてくれているものだ」という意識を持たない、ということです。
ですが「相手様を理解していこうとする努力はしなければいけません」。そのためにはいつも「初めて出会うという意識で接する」ことが肝要です。
「狎れない」、ということです。人生のお付き合いの中でこの「狎れ」が一番行儀を悪くしてしまうこととなるのです。
今夜は「にんげん学」一宮講座です、愛知地区の皆さん今年最終の講座です、ご参加をお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌