道に従順に

おはようございます。

日々祈りを修しております。このことは言葉を換えて言えば「従っている」ということであり「道に沿って歩んでいる」ともいえます。
世の人は従うことを良しとしない人もあるように見受けます。何故かと考えてみますと従うような人間は「弱い」と考えているからではないかと思われます。
「道に従順に」。
しかしそのような考えは一考して見る必要があります。
従うと言っても「従わせられている」というのではありません。「自ら従っている」のです。心から納得して従っているのです。
従うという心は「柔軟な心と言っても良いでしょう」。柔軟な心で歩んでおりますと川が蛇行して流れついには「大河」になるように流れを止めることがないのです、いわゆる「争わない」。
ところが従うことを良しとしない人は自分の考えに固執しますから、自分の意に添わない従わない現実に出会いますと「衝突」するのです。衝突をしますと「どちらかが傷つきます」、傷つきますと「傷痕が残り」ますから、いつまで経っても「そのことが忘れられず進歩を止めてしまう」こととなるのです。
目標を持ちながら途中で争って目標が達成できないような事態になってしまう恐れも生じるのです。
このように教えに従う、道に沿うということは「自分を見失わない」こととなりますですので「真我」に目覚め「為すべき事を確かにする」のです。いわゆる「使命感に目覚める」。
「剛よりは柔、固よりは軟」が大事です。強くなりたい、堅強な人間となりたいという気持ちは分からないわけではありませんが、真の強さは「柔にある」ことを知るべきです。
強さを望む人はよく人と争いますし、人の意見に耳を貸すことも少なくなり、結局は強さを求めて孤独になるという人を多く見るのです。
真の強さは道に沿い、道に従って黙々と明るく歩むことであります。日々修練するからこそ大きな幸せをしみじみと味わえるのです。
日々道に従い修練を楽しみ又そこから得られる喜びを味わいましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌