苦しいからこそ

おはようございます。

行は胸突き八丁、お昼で終わることを知っておりますから余計苦しくなるのです。苦しさというのは日数の長短ではありません、行そのものが厳しいのであって、最後の一座が最も苦しくもあります。だからこそ集中力がわき出してくるのです。
「苦しいからこそ」。
苦しければ苦しいほど「純粋に行じなければいけません」、道に忠実にそして純粋に考えることが大事です。
苦しいときにこそ純粋に理想に向かって考えることが出来なければ苦しさに負けて何も得られることが無く逆に「失うことを多くする」のです。何を失うかと言いますと「己自身と人様、そして生きる場」であります。
純粋に考えることをしませんと、集中力も失い、一層行がただ単に辛く厳しいものとなるだけです。
純粋に考えていませんと「行を終えることばかりを考え中味のない行になってしまう」恐れがあるのです。本末転倒、「行は自己完成そして皆さんの心願を叶えるため」に行うものであり、行を終えるために行うのではないのです。
行じることで身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)が三密(さんみつ、御仏と同じ身・口・意)となるように行うのです。私たちは身、口、意の三つで煩悩を引き出し、迷いの人生を作り出すのです。
この身、口、意の三つを悟るため、「三密」とするために行を為し真理と御仏と一体となり、皆様の心願を成就いただくため行っているのです。
行後に祈祷力、加持力がパワーアップするためでもあります。
苦しいから早く終えたい、終わりたいというような意識で行に向かえば天罰が下ることとなるのです。
三日間の八千本の護摩を修するために日々の護摩修法を行っているとも言えます。又このように意識しているからこそ常の護摩でも皆さんにご利益をいただいてもらえるのです。
八千枚は常の護摩のため、常の護摩は八千枚のために、と言った具合に、その根本は常に「皆さんの心願を叶えるため」の日々の行であるといってもいいのです。
10時から最終の護摩です、是非お参り下さい。「修せずんば現れず、行ぜずんば得られず」です、人生はこの言葉通りです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌